投稿日: Aug 22, 2015 12:47:8 AM
活字離れは嘘であるということは、随分前から言われていた。BookOffや図書館利用を考えてみても若い人の書籍への関心が薄らいだとはいえない。また活字とは文字情報のこととすると、フリーペーパーやカタログのような商業印刷物も含まれるし、さらにたとえ漫画であっても吹き出しの文字に面白さがあるということや、現代ではケータイ・スマホの文字通信も含めて、日常生活の中でも活字への馴染みはむしろ深まってきた。しかしその状況を出版売り上げには結びつけられなかった。要は、出版の産業の右肩下がりの理由として考え出されたのが「活字離れ」であろう。
日本の出版は毎年新刊が8万点ほど出るように、出版社は新刊にビジネスの比重を置いて、かつてのように単行本の定番を新書や文庫として長く売り続けるモデルではなくなってしまった。つまりコンテンツを市場に次々タレ流していくビジネスになったのである。これを社会の側から見ると、これらのコンテンツは社会の財としてはストックではなくフローになっていったといる。日本の出版界はフロー提供型として大きくなったわけだし、それゆえに8万点ともなると飽和に近い状態にあるといえる。
これは日本の出版界が置かれた特殊事情によるもので、第2次大戦後の漢字かな遣いの変更によって、戦前の出版物のストックが読まれなくなった分だけ、戦後は出版物へのニーズは高まったことを以前に何度か書いている。近代文学などはゼロリセットされて特需が起こったのである。それまでは日本も基本的にはコンテンツはストックであって、蔵書というのは家で引き継がれていた。ウチの爺さんが購入したものでも、東海道五三次のような絵図は家族の誰かが引き継いでいた。コンテンツは個人蔵とか文庫とか図書館・博物館など社会のあちらこちらにストックされていくものであったのだ。
若い頃は自分が購入した本でも雑誌でもレコードでも捨てる気にはならず、可能な限り貯めこんでいたのだが、人生の節目では処分せざるを得なくなったことが何度かあった。それで一番先に処分されたのは雑誌とビジネス書・実用書で、次いで文芸などは古本ではなくゴミとして処分された。全然捨てていないのは美術書とレコードと学術的な資料などで、息子が関心のないものは誰か興味を持っている人に引き継いでもらえたらという気になる。
これらはあたかもコンテンツ自身がストックであることを望んでいるかのように思える。