投稿日: May 22, 2013 1:17:46 AM
部分ばかり改善しても未来はない
記事『出版界をバイパスして』では、何らかの新しいコミュニティのムーブメントがあるところで、新しいメディアが出版印刷の分野を迂回して、自主流通できる自主出版というものになろうとしていることを書いた。そういった分野のひとつに大学があると思う。大学のコミュニティ内では教員の講義資料、職員からのお知らせ、図書館、学生の論文・レポートなどが行き交う。教員、職員、図書館、学生という立場の違いを超えてデジタルで文書が交換できるようになるにはハードルが高いともいえるが、結局はそうなるし、その時には大学における商業出版の役割は大きく変わってしまうだろう。
大学は情報流通を中心においたコミュニティであるので、究極的にはまるで大昔の口述・口伝の学校のように自然にデジタルコンテンツが行き交って、教員、職員、図書館、学生というボーダーはネット上は非常に低くなるはずだ。しかしそんな姿を今は描いている人はそれほどいないかもしれない。それは従来の紙ベースの「知」によって、このコミュニティが分断されたままの現状とは異なることを発想するのが難しいからだろう。
大学の授業や研究は、情報を出す側と受ける側の双方向性、および情報の共有、外部情報の参照などで成り立っている点では、世の中の情報システムとは同等の技術で進むはずだ。デジタルとネットで自然にこのような双方向性や情報共有ができる典型例がCookPadである。料理におけるレシピのようなものが個々の論文やレポートであると思えばよい。この料理に対する評価が可視化されればよい。料理の素材は共有すべき情報である。それは図書館のものもあれば、自分の実験データ、調査データの場合もある、というようにデジタルコンテンツの生態系のようなものが大学になろう。
日本の大学の授業環境がなかなかデジタル化しないと言われているが、それはある面では過去の情報資産が多くあるからでもある。老教授が昔からの講義ノートを使いまわしにしているというのもその一つで、老教授が居なくて、若い教授が今入手可能な資料で授業を構成すればデジタル化は容易であろう。そもそもデジタルで入手可能なものでシラバスを作ればよいからである。しかし(善意に考えれば)老教授にしかないコンテンツというのが無視できないところも、きっとあるのだろう。
つまり学生のレポートはすでにデジタルになっていても、教員、職員、図書館というところのデジタル化が進まないでは生態系は出来上がらない。デジタル教科書など部分部分のデジタル化だけではなしに、情報がどのように循環するべきかという視点でIT戦略を考える必要があるのだろう。