投稿日: Jan 18, 2014 1:22:37 AM
Googleが音楽配信業務をするためのプロジェクトであると思うが、過去64年間の(アメリカにおける)音楽の各ジャンルの人気を表したチャート(ここではレインボーと呼ばれている)が、”Google Research project turns 64 years of music into a rock rainbow” にある。そのレインボーチャートを見ると、1960年代になって急にPopやRockの比重が拡大し、その後は次第に配分が均一になるような図に作られている。
どうしてこのようなチャートになったのか推測はできる。まずは今日の音楽のメタデータとして使われている分類があって、それぞれの音楽のルートを辿るようにさかのぼっていったのだろう。たとえば「HipHopは増えたなあ」とか「Metalは減ってきてるな」というのを数値化したということだろう。しかしこういう音楽分類の言葉はもともと定義が曖昧なものが多い。それは音楽の分類が先にあって音楽が作られるのではなく、流行った後に名前がつけられるからである。
たとえばフランクシナトラのように1960年以前はJazzと呼ばれていたものが以降はPopになっていたり、黒人のアップテンポのJumpBluesなど50年代はJazzに含まれていたものが以降はRockになったりしたので、1960年代前半に大異変が起こったかのようなチャートになっている。しかしアーチスト自身は1960年以前も以降も変わりなく自分の音楽をしていたのである。
1960年代初頭のRockの勃興というのは、記事『もうひとつのアメリカ音楽』で書いた黒人の大衆音楽が次第に世界に知れ渡ることで起こった。ジョンレノンなどイギリスの若者は1950年代にはエルビスプレスリーの真似をしていたが、60ごろからR&B的Rockの影響を強く受けて、それらのカバー曲がイギリスで流行り、それがブリティッシュサウンドとしてアメリカにも逆輸入されるようになった。
これはアメリカ黒人の公民権運動とも関係していて、人種の壁が文化的にも低くなったことから起こったことで、それがイギリスで爆発的なムーブメントの火付けになり、やがて世界にロックが広まるようになった。記事『メディアで伝わらないライブのgroove感 』で書いた黒人JukeJointの熱狂のようなものが世界的に受け入れられることになったということと、JukeJointのようなところで、数人の小規模コンボによる演奏形態というのが、それまでのPopやイージーリスニングのオーケストラにとって代わるようなことも起こった。
日本ではエレキブームというのがあったが、数人編成でステージからホールに音を満たすことが当たり前になったのが、Rockというジャンルが拡大した理由でもある。こういう小規模コンボが広まることでアマチュアが増えるわけだが、録音数もどんどん増えて音楽産業にはいろんな刺激が与えられた。
つまりそれまでの音楽ビジネスの定石を外したのがブリティッシュサウンドのようなアマチュア的音楽でもあったわけで、そのように音楽ビジネスが定石に収斂しては壊されていく歴史が後にもある。オルタナティブ・インディーズの拡大もそうである。定石が出来上がったら、次はそれを壊すことしか伸びる道はないのである。