投稿日: Aug 07, 2011 11:21:47 PM
ソーシャルメディアが本当に力になるのだろうかと思う方へ
社会では大した問題ではないのにテレビや新聞では大事件のように扱われることがあることを、記事『風評も作り出す~マスメディアの功罪』で、番組のヤラセや演出に関連して書いた。これはもしマスメディアが公共性とか公平性・中立性を標榜するならば作為的なことをすると信頼されなくなる点である。ルパートマードックのメディア・コングロマリットであるニューズ・コーポレーションが、イギリスで大衆紙を廃刊に追い込んでしまったのもこういった一因がある。この事で新聞という媒体の取材~編集の密室性・不透明性を見せてしまったかもしれない。そうすると公共性や公平性を担保するために取材~編集のオープンさを標榜するソーシャルメディアは有効なものとなるのだろうか?
有効になると期待している人は多いが、現実はまだそこまで至っていない。ネット上のニュースやpaper.liのような2次3次メディアはソーシャルと結びつきが感じられるが、リアルな世の中の事象に直接コンタクトするところのソーシャル化はまだ弱い。Ustreamやニコ動は記者会見や取材や対談など情報発信源に迫る方向で進んでいる。そこで最近はテレビや新聞では話題にならないのに、ネットでは騒がれることがある。しかしそこに巻き込むことのできる人数は、まだマスコミの比ではない。YouTubeにおけるアイソト-プセンター長児玉教授の訴えは多くの波紋を呼んで、それまで無視していたマスメディアにも取り上げられるようになったことは評価できる。8月5日のニコニコニュースでの孫正義×堀義人などは、これを仕掛けた堀氏陣営が予告の産経ニュースを大量のtweetして盛り上げていったが、当日のオンラインの視聴は22000くらいだった。
これらネット上独自の情報は今ではマスメディアとの補完関係になっているといわれているように、アナログメディアにおける『メディアが書かなかった…』本に似た位置にいる。つまりこの場合のコンテンツの主体は児玉教授なり孫社長なりであって、メディアが作り出したものではない。ソーシャルメディアに問題提起なり情報発信の能力はまだないといえる。編集者とかキュレータという核となる人なしに一貫性のある情報を発信することは難しいだろう。北アフリカで長期政権に反対する行動をソーシャルメディアで呼びかけて、ある程度成功した後で、世界中で大衆行動の呼びかけにソーシャルメディアは使われだし、先週は反原発とか反フジテレビという行動もあったが、反原発は何らかの根拠は示せるとしても、反フジテレビは主観主義なので、気に入らなければ見なければいいだけの話だから、市場原理で動いていくビジネスを批判しても無視されるだけであろう。こういったネット上の烏合の衆が一時的に目立ちつつあると思える。
一方で専門情報を扱うBlog系のミニメディアが多く出てきて、社会活動を行っているNPOの情報発信もあることから、ソーシャルな問題提起はこれから起こってくるであろう。同時に勘違いも冗談も、場合によっては反社会的なことも、個人が情報発信するよりも、寄り集まってソーシャル化して行われるようになるのだろうが、実名で矢面に立つ形になるなら、骨のない烏合の衆はやりにくくなるのではないだろうか?