投稿日: Dec 13, 2011 12:0:57 AM
ソーシャル騒ぎの先に何があるかと思う方へ
フォレスター・リサーチのジョージ・コロニーのスピーチが議論を呼んでいるそうだ。日本語の抄訳のタイトルが「ポスト・ソーシャル時代が来る」だったので、おやっ!と思って目を通したのだが、実はソーシャルのことは語っていないようだ。テーマは3つあるようで、第1はWebという単一プロトコルのフラットな情報伝達やコミュニケーションは死んでスクリプトの実行というところに焦点が移る。第2はソーシャル・バブルが弾け時間の無駄になるサービスは淘汰される。第3は企業がソーシャルを通じて顧客との交流、顧客の満足度、チームのコラボレーションなどを改善する、というように読める。
第1の「Webは死んだ」はC氏も言っていた言葉だが、ここでは脱PCというか、スマホ・タブレット・ゲーム・TVなどに特化したインターネットの使い方が充実期に向かうといえる。従来ムーアの法則はPCというローカル処理能力を向上させてきたが、デバイスが多様化するとローカル処理を充実されるよりも、データセンタ・クラウド処理へ重点が移り、デバイス横断的な利用ではなくデバイス特化したアプリが進む方が満足度が高いという見方だ。
第2の「ソーシャル・バブル」は通過点としては仕方がないと思う。どんな新しいトレンドでもカンブリア紀的に無駄なサービスがいっぱいできて淘汰されていくのだから、ソーシャルメディアと名のつくものも当然そうなる。この人はフォースクエアはナンセンスと言っている。ここではソーシャルテクノロジとソーシャルコミュニケーションは分けて考えなければならない。テクノロジには新陳代謝や淘汰はあるだろうが、ソーシャルコミュニケーションは「目的」であるから弾けたり滅んだりすることはない。高広伯彦氏がソーシャルメディアコンサルタントを依頼する際のクライテリアとして「コミュニティ活動とメルマガの経験者」ということを言っていたが、ソーシャルと名の着く前から必要なことはソーシャルと言う名前が廃れても必要性は変わらないであろう。という点では「ポスト・ソーシャル」は無意味だ。
第3の「企業向けソーシャル」がこれからの課題だということは、今現在のソーシャル活用云々はまだ例外的なものかマガイものでしかないことを明らかにしたともいえる。しかしこれは「企業がソーシャル化する」変身論と考えるのと、「ソーシャル化した企業が生き残る」淘汰論に分かれると思う。実際には両方あるのだろうが、企業のソーシャル化は大企業の変身よりもローカルな小さい経済を活性化させることになり、大企業はもともとソーシャルな性格をもったところのみが生き残るというのが、ロングレンジで考えた場合の方向ではないだろうか。