投稿日: Oct 08, 2011 1:13:54 AM
どうして Steve Jobs は情熱を失わなかったかと思う方へ
TVでも Steve Jobs の古いインタビューのビデオを紹介しながら、業績をたたえるような報道をしている。確かに今話題のiPod、iPhone、iPadなどの開発者が、ビジネスの絶頂期に亡くなるというのはドラマチックな面があるが、着想や哲学のユニークさをみるだけでなく、そこに至るまでどのくらいの努力や忍耐が必要であったかについても考えてみる必要がある。Steve Jobs が製品の主導をしたLisa/Macの開発は当時ではビジネスとしては成功したとはいえず、DTPというニッチな世界で食いつないでいるだけで、結局はAppleを追い出されてしまった。そういった負の経験にもめげずに、なぜ復帰できて、コンシュマー市場への新たな進出ができたのか、ということはまだ十分に語られていないように思う。
AppleのDTPのパートナーでもあったAdobeの初期にはよくポスターを作って配っていて、その最初の頃にT定規の縦の部分を結び目にした絵があった。これは組版の定石を無視し続けた「ある」タイポグラファーを称える文面がついていた。つまりCADから派生したPostScriptは全く自由にデザインができるものであり、活版のタイポグラフィーの定石に束縛されないでデザインができるのがDTPだといいたかったのだろう。DTPがデザイナに自由を与えるのと同じように、パソコンがいろいろなクリエーターに自由を与えるという文脈で、デスクトップ何何という方法で音楽やビデオなどのオーサリングのソフトが発達していった。
Steve Jobs 自身が若い頃にヒッピー的で後も禅に傾倒したりしたのは、世俗との断絶による自分の自由の確保という面があったと思う。記事『異才 Steve Jobs を失って』ではアメリカのビジネスの定石を踏まないSteve Jobsのことを書いたが、当然ながらコンピュータ業界の定石をJobsはひっくり返そうとしたにとどまらず、利用者側のビヘイビァを覆したSonyのWalkmanのことを語っていたことがあって、デジタル化する情報家電に関してもIT業界の考える定石に乗らないことを一貫して考えていたと思う。既存の業界の束縛から自分を自由にすることがJobsにとって個人的な最大のテーマであったろう。
スタンフォードでの講演で stay hungry の話をしたことが有名だが、復帰したAppleの経営陣としての仕事もほとんど給料をとらなかったことは、stay hungry の対極にある settle な面である会社の運営という仕事には1ドルの価値しか感じなかったからだろう。Steve Jobs にとっての stay hungry のhungryは何なのか。それは人を束縛しているものを取り去ること、という1970年代に叫ばれた自由・解放の情熱が、Steve Jobs の中に燃え続けていたのだろう。