投稿日: Oct 17, 2013 4:6:35 AM
お買いものばかりじゃない
雑誌が果てしなく衰退していく。ウチの子供もかつては近所のコンビニに立ち読みに出かけていたが、最近はコンビニに行きもしない。もしコンビニでの雑誌陳列が減ってしまったなら、また大津波にさらわれるような変化が起きるかもしれない。もう一般の雑誌はなくても誰も困らないメディアなのか? 商品としての雑誌は減っても、飛行機に乗れば機内誌があるし、雑誌のようなカタログが送られてくるし、フリーペーパーもあるし、読者からすると読み物はそれほど減るわけではないことを、記事『共生的メディア』で書いたことがある。紙媒体としては販売物が減った分だけ非販売の媒体がプレゼンスを上げている可能性もある。
昔は年末商戦を前にして新製品が発売され、雑誌もそれらをネタに記事を作り、広告をもらい、忙しい秋であった。輪転機の確保をどうするかで悩んでいた時代もあった。雑誌やカタログや販促物の印刷は日本の印刷能力の上限にまで達していた時代があったのであった。それは年末に何を買うかの情報は印刷物で届けられていたからである。たとえばオジサンは「新しいデジタルカメラはどれがよいか」みたいな記事の載った雑誌を買い、店頭でカメラのカタログを集め、家でそれらを眺めていた。
実はデジカメがどうでなければならないという必然性は一般人の日常生活には無く、同様に殆どの耐久消費財はメーカーが違っても似たり寄ったりなので、おじさんは洗剤が花王かライオンか気にしていないように、何も迷う必要はないのだが、「買い物の悩み」を楽しむカルチャーがあるから商業雑誌というメディアのビジネスが付随したということだろう。今でもこの種の楽しい悩みはあるが、それはネットの情報にシフトしたことが、雑誌のビジネスを広告も含めて下落させたのである。
雑誌はお買い物系以外も沢山あるが、お買い物系に傾いてしまったものも多く、それらの乱立はもはやありえず、一分野一誌が関の山となるだろう。現状ではシニア向けにお買い物系妄想雑誌がはびこっているが、若い人向けモノ雑誌はなかなか難しい。しかし若い人が新しい雑誌を創り出す余地はの残されていると思う。
ネットではどんどん情報が更新されていってアーカイブがうまく辿れない場合が多い。ネットでも丹念に探せば古い情報も見つかるが、それら断片をつなぎ合わせて10年前の環境を思い描くのは大変である。しかし雑誌なら10年前のものを引き出せば、時代が切り取られたようにみることができる。つまり時間軸を含めた4次元的な認識をするのにアーカイブは必要なのである。
そんなアーカイブ価値を念頭に置いた雑誌作りが起こるのではないか。(というか、ナショナルジオグラフィック誌は100年前からそうなっていたんだが)