投稿日: Jun 03, 2014 1:22:30 AM
メディアを扱う人や組織に課題がある
一般企業も学校もNPOもどんな組織もWebで情報発信をするようになり、それによって活動を活発化させようとすると、組織内で情報リテラシーの向上が必要になるという考えで、この「デジタルメディアリテラシー」という名前を付けたのが4年前、ちょうどソーシャルメディアが騒がれて、それまでの会社案内を作って放置してあるWebから、組織活動の息吹が伝わるような「何か」に変貌するかもしれないと考えていたが、その歩みは思っていた以上に遅い。
おそらく一般の企業の人が今のtwitterやfacebookその他の類似のサービスをいじっているだけでは、Webサイトとそれほど違う効果は得られないのではないか。
もちろんWebであれソーシャルメディアであれ、有効に使っている組織はいろいろあるが、それが特定の組織の競争力向上になっているだけでは、デジタルメディアの「社会的」効用とは言い難い。結局トートロジーになってしまうが、今デジタルメディアを有効に使える人は、もともと情報の取り扱いとかコミュニケーションの能力の高い人であって、そういう人たちは人の力を借りなくてもこういったメディアを扱えるし、ITや通信環境が整備されることで今までよりも安価で効率的に情報発信やコミュニケーションができて競争力が高まるのである。
しかしソーシャルメディアなどのサービスが無料で受けられるようになると、この堂々巡りにループに風穴があいて、メディアを運用した経験がない人の中からも挑戦する人やスキルとかリテラシーを身に着けた人が出てきて、企業や組織はそういう人を雇うことで情報の取り扱いや発信能力を高めらえるのだと考えられるが、今のところそのような自社メディアの強化とそれに向けた採用を考えているところ自身がそれほど多くない。
英語の場合はネットで情報発信をすると、レスポンスが世界中からあったりするが、日本語で情報発信をしてもそれほど世界が広がるわけではないことも、日本の組織のメディアリテラシーを向上させない理由のひとつかもしれない。
英語ができる/できないという問題も含めて、組織が外部に向かって情報発信やコミュニケーションをうまくするには、組織の内部において外部以上に活発に情報交換やコミュニケーションがされていなけれければならない。つまり発信すべき情報を内部で煮詰めるところがシステム的にも人的にもできていて、そこで評価とかフィルタされた一部の情報が外部に出ていけば、対外的なコミュニケーションの役割をするような、内部と外部の連携が必要であるし、そのような状態になろうとすると、内部の能力と外部向けの能力をシーソーのように交互に向上させていかなければならない。
つまりある時点で一挙に外部向けのシステムの立派なものを作っても、内部の能力が追い付かない。だいたい昔からコンピュータシステムはそのような過剰スペックで使いこなせないということを繰り返してきたし、取り組む敷居も高かったわけである。それが今、英語圏でのコミュニケーション活性化のおかげで無料とか安いコミュニケーション・情報発信ツールが手に入るようになって、システム的な敷居の高さはなくなったので、残るは内部の人材のメディアリテラシー如何によって対外的なメディア戦略がどうなるかという時代になっているのだろう。