投稿日: Jun 01, 2013 12:29:44 AM
野次馬に覆われたネット
ネットで誰でもが情報発信できるようになると、一見するといろんな意見が出るようになると考えがちだが、実際はエントロピーの増大になってしまって、一般の人にとっては論点がわかりずらくなることもあるようだ。自分で調査をするような熱心な人にとってはネットで貴重な情報が発掘できるので、ネットで何かが変わったと思うのだろうが、一般の人は受身なので選挙でネットが解禁になったといっても、人々の価値判断が変わるようなことにはなり難いと思う。それは原発事故に関してネットでは反原発が盛り上がっても、国政選挙結果に反映しなかったことからもわかる。
これらをよく観察するとあるテーマに関して、ネットでは当事者の情報と野次馬の情報が区別でき難くなっていることがある。被災地の人々がtwitterで情報発信をする量よりも何十桁も多い野次馬のtweetがされる。それらは当然現地は知らないわけで、主としてテレビ報道を通して得られた断片的な情報だから、そもそも議論のスタートにするのにふさわしい内容なのかどうかは怪しい。実際はネットでは噂が噂を呼ぶような議論にならない書き込みが延々と続くようになってしまって、まともな情報発信をしようとしても、渋谷の交差点の真ん中で真実を叫ぶかの如く、誰も振り向いてくれない。
こういったごく僅かの当事者と、関心をもつ莫大な数の人々をつなぐのが本来のジャーナリズムの役割のはずだ。CNNが自己宣伝にしている文言で、確か以下のようなことを言っている。
真先に現場に入る
最後まで残る
何事にも関心を持つ
決して諦めない
生活に影響を与える有力者の本音を聞きだす
希望をみいだす
出来事の真実に辿り着く
現実の日本の報道は、記者クラブで記者発表を待つ、さっさと帰社する、通信社から送られてきた記事に目を通す、風向きが変わると態度を変える、有力者の建前を受け売りする、現状でがまんする、野次馬の後方で見守る、というような態度に見えてしまう。
ネットもカオスだけでなく、ハフポストのようなネット新聞がジャーナリズムの力を拡大する可能性はあって、その原動力になるのはジャーナリストという人であり、アメリカのハフポストの場合は既存メディアの人たちが移行して担っているが、日本では既存メディアからネットに移って行動を起こす人はあまり居なかった。NHKをやめた堀潤さんのような人の活躍を期待したい。