投稿日: Oct 14, 2014 1:15:13 AM
私の父が東京で大学生活をする際に下宿していたところに娘さんが居て、その人は成人後にスカウトされて映画女優になった。そして端役で出た映画が全国で上映される際に、親御さんから見てくださいという連絡があったので、家族で映画館に行ったことがある。それは娯楽映画で題名は忘れたが、当時はエンタツ・アチャコとか伴順三郎とかモロモロの喜劇映画が全盛時代であった。その後も何度かその種の映画に出た後に、主演女優にもなるようになった。テレビの時代になって、よろめきドラマのトップ女優にもなった方で、何年前かに亡くなられるまで現役女優であった。
そんな事情で私も小中学生の頃に何度かドタバタ映画を見に行った。植木等とクレージーキャッツなどの時代になると、ドタバタ娯楽の中心はテレビに移行するが、同時に映画もヒットしていた。そしてその後はドタバタ喜劇は映画では激減して阿呆コンテンツはテレビの独壇場となった。
こんなことを思い出しているのは、紙メディアとデジタルメディアの棲み分けも似たようなことになるのではないかという気がするからである。つまり映画はなくなりはしないが、ある程度以上の水準とか、限られた分野とかにコンテンツがなっていって、その他大勢のコンテンツや泡沫コンテンツはテレビになったように、紙メディアの用途は限定されていき、泡沫コンテンツはデジタルメディアが中心になるという流れが見えている。電子メディアは淘汰されても構わない泡沫メディアとして今を生きるというスタイルであろう。
世界中で紙の雑誌の沈下というのが報じられるのだが、雑誌の価値は下がらないという人もいる。それは逆で、価値の下がらない内容を雑誌にしているのだと思う。我が家も紙の雑誌を買うのはどんどんやめていったので、今ではNATIONAL GIOGRAPHIC日本版だけになってしまった。なぜ辞めないのかと時々自問自答している。それはまた後日にバックナンバーを見にいくということが続いているからである。なぜネットではだめなのか? ネットで代替してしまった情報も数多くあり、レシピなど実用書ははぼ紙ではなくなってしまったのだが、不思議なことにNATIONAL GIOGRAPHICは雑誌の方が見やすい。これはページレイアウトとページめくで行ったり来たりしながら読むことと関係しているだろう。
NATIONAL GIOGRAPHICに限らず、一つのテーマを追いかけるメディアは長年の蓄積ができて、それがブランドにもなればアーカイブとしても利用されるようになる。こういった長年の蓄積からくるコンテンツとか、あるいは編集の知見があるのが紙媒体の特色で、レイアウトなどもその知見に一部であろう。こういった要素がタブレットの普及でデジタルメディアに移行してくるかと思ったのだが、それは意外に遅かった。雑誌のページをぱらぱらめくる速度ではまだ画面の切り替えはできないし、切り替えのためのユーザインタフェースもまだ不十分で、いつでも誰にでも使ってもらえるものとはなっていないのかもしれない。
だからいずれはデジタルのページを提供するつもりでも、今は紙の雑誌として生き残ることの方が先決になる。言い換えると雑誌分野は紙メディア同士の淘汰の戦いに勝たないと、デジタルメディアには行けないのかもしれない。
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