投稿日: Dec 13, 2014 1:29:8 AM
学生時代は京都に居て専攻が美学芸術学であったために、地元の伝統的な工芸の人たちとも会うことが多かったし、工房を訪ねることもしばしばあった。創作活動も、もの作りも似ているところがあって、いやいややっていては良い結果にはならないし、またモチベーションだけではなく、長い期間にわたってやり遂げようとする執着心とか、出来上がったものを仔細に点検して、自分の作ったやり方を評価・改善検討するとか、似たような気質を持っている人たちであろうと思われる。
創作活動をする人のタイプもいろいろで、例えば絵描きでは、自分で納得いかない作品は破棄してしまう人と、オクラ入りにはするが破壊はしないで置いておく人が居る。オクラ入りにする場合は、また機会があれば描き直してみようと思ったかもしれない。また発表の機会のあるのは1点だけなのだが、甲乙つけがたい2点を作ってしまって、気に入っているにもかかわらず片方がオクラ入りになることもあろう。
絵描きや陶芸家などが死んだ後にアトリエから出てきた作品は、上記のようないきさつはもうわからないままに、作品に値段がついて独り歩きしてしまうのだろう。これはかつて趣味で美術評論のようなことをしていたときに、しばしば疑問に思う作品があり、作品からだけ評価できるものではないと思った。そういう後世のことまで考えて、納得いかない作品は葬るという人も居るだろう。モノである絵画や彫刻や工芸品は破棄できるが、小説や音楽などのメディア化した作品は葬ることができないで、世のどこか片隅に残ってしまう。
しかし、もの作りが創作活動と異なるのは、作ったものに「完成」というのがない点だろう。ビジネスとして何かを作る場合には、原価と売価のバランスが必要で、それは材料とか道具・プロセスとか納期とか諸条件の制限の中で作らなければならないことで、理想のものを作ることが許されるわけではない。当然ながら努力の結果としての出来栄えに満足することはあっても、「もっと…こういうように出来たはずだ」という部分が必ず残る。
昨今の技術革新の世の中では数年たつと材料も道具も進歩してしまい、後から作った方がよいモノになってしまう。実用品の場合は特にIT関係なら見比べられると歴然と差がみえて、ものを作った人のプライドも短期間しかもたない。
もの作りの場合に評価されるのは、モノそのものではなく、技術革新と歩調を合わせて、あるいは技術革新を起こしながら前進する力になるのだろう。
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