投稿日: Jul 26, 2010 11:16:19 PM
新たなメディアもすぐ飽きられると思う方へ
今日KindleやiPhone、iPadに人々の注目が行く理由は、それ自体の機能がどうであれ、新しい体験だからである。1990年代後半にWebが急速に普及していった時のキャッチフレーズはネットサーフィンであったことを思い出す。この言葉に象徴されるように、何かを求めるための道具としてのメディアではなく、Web体験自体が目的であったわけで、そういう時代が数年続いた。そこのコンテンツは実は既に印刷物として先にあるようなものであったにも関わらず、印刷物を入手できる範囲の制限がとっぱらわれたことを経験することが、Webサーフィンであった。その後のケータイも家電話やパソコンメールの制約がなくなってユビキタスを体験できることに新鮮さがあったと思う。
2000年を超えてWebがあまりにも日常化してしまった後は、買い物がオンラインでできるというエクスペリエンスが人々に受けて、ケータイでもなんでもないアクセサリーが売れたこともあるが、これも一巡すると沈静化してしまう。ゼロ年代中庸からはSNSというのが新たなエクスペリエンスになっていって、これはまだ続いている。あまりにもエクスペリエンスに比重を置きすぎたものがセカンドライフのようなもので、エクスペリエンスにかける努力が重すぎると広がりに制約ができてしまう。まだ何か欠けているのではないかという時期尚早感がある。 昨今増え続けている3D映像もストーリーとかキャラクターよりも新しいエクスペリエンスが得られるという理由で人をひきつける。それが一巡したあとどうなるかが問われている。
日本がケータイ先進国であった時代は、ケータイであれもできる、これもできる、という多機能さが新規性になって、いろいろな体験を増やしていった。それはWebで先行していた分野をユビキタスにするという面と、QRコードやお財布ケータイのようなメディアの延長線上にあるサービスへと拡大していった。しかしお財布のアプリはケータイアプリの延長上にはないように、別分野との組み合わせの難しさがある。アメリカは3Gが遅れたためにその後の技術革新によるCPUパワー向上とタイミングが合ってiPhoneのようなものができた。iPhoneは電話の先に機能を追加するというよりは、iPodの先にいろいろなビジュアルと操作のエクスペリエンスをデザインしていったところがブレイクした理由だろう。
今twitterでは電子書籍体験をつぶやく人が増えている。しかしエクスペリエンス自体が話題になるのは初期段階だけであるので、このエクスペリエンスがどのように生活に着地し社会に組み込まれて定着するかの設計をすることが今大切だろう。それは図書館や教育分野として話が始まっている。こういったことを想定しながら10年後のメディアビジネスを考えていくべきだ。エクスペリエンスだけで終わってはならない。
実はメディアの登場というのは、アナログの時代から、それ自体が新しい体験であったといえる。ナショナルジオグラフィーは内容の質の高さと同時にビジュアルのすばらしさが目玉の雑誌だが、最初は文字中心の学会誌のようなものだった。ある時に印刷会社への出稿の直前に原稿に穴があき、急遽探検隊の撮った写真構成をしたところ大変な反響があって、路線を大きく変更したというのは有名な話だ。新たなエクスペリエンスをして、そこから新たな方向性を引き出すことが、メディアの進化であるようだ。