投稿日: Mar 28, 2014 12:4:1 AM
ドッグイヤーの中では刹那的になりがち
この1年ほど、mixiやfacebookからLINEに流れた人も多いのだろうが、facebook人気が翳っているようにいわれる。SNSの新形としてその場限り的な使い方をするものが伸びているが、その理由として人々は発言のアーカイブは必要としないんだという説がある。そういうことをいうとSNSもチャットで十分にってしまう。本当にそうだろうか?
ネットでは次々と新しいサービスが登場するのだが、登場時に何が期待されるのかというと、いかに早く成長して上場し、それにからんだマネーゲームができるかに焦点が当たりがちで、それではITもメディアもリテラシーも関係なく、ただネットはドッグイヤーだからゲームがさっさとできるということでしかない。
経済記事ならシンデレラ物語で読者の気を引けばよいので、それでもいいのだろうが、ネットの内側に身を置く者はこういった話題にあまり引っ張られないで、別のビジョンを持つべきだろう。
ネットで着実に伸び続けているサービスも多くある。青空文庫、Wikipedia、グレースノート、Cookpadなど、コンテンツを積み上げていくものは、サービス自身としてのやっていることはいつも同じに見えても、スケール感がでてくると社会的な意味合いが変わってくる。つまりやっているサービスの先に社会的な効用に関しての大きなビジョンを持ちながらコツコツと活動を続けているのである。
facebookとかFoursquare他の近年のSNS的サービスにかなり共通している問題は、そこに投稿された情報が蓄積しても、そこから別の効用が生み出されていないことである。そういうことが考えられなかったわけではないが、そういう地道なアプリ開発がされているようには思えない。
つまりfacebookなら個人が書き込んだ内容をある期間でまとめて表示する怪しいアプリとかスライドショウのようなショボいサービスはつくられたことがあるが、本を作るとか雑誌を作るようなちゃんとしたアプリはないし、会議などでもfacebookは案内だけで、会議全体を時系列に見渡せるような仕掛けもない。
また人のつながりは何らかのグループを形成するとかグループの組み合わせになるのだが、別の似たグループが何をしているのかという情報もない。fcebook自身も何億人のホストをサービスとしては、チャットで十分と思っているのではないだろうか。
LINEの利用者がいくら増えてもITとかネットの利用として何か進んだ段階に入ったという気が全然しないのだが、今まで得られなかったコンテンツを切り開こうとする努力を抜きにして、操作性や広告モデルをいじりまわすだけの競争は後に何も残さないだろう。