投稿日: Oct 30, 2013 1:37:48 AM
美術とデザインは何が違う?
朝日オリコミの鍋島裕俊氏が明治・大正・昭和始め(戦中まで)の新聞広告をfacebook上で毎日1点づつ紹介していて、もう2年近くになる。先日その間に鍋島氏が集めた数百点の総まとめともいえる時系列な変遷を紹介するセミナーが行われた。各時期の時代背景の説明と共に、現在でもトップメーカーであるような有名どころのスポンサーの、これまた有名な商品が紹介されたので、分かりやすい話であった。また広告の質としても、昔からデザイン誌にも紹介されているものであって、やはり全国新聞という当時の第一級のメディアに載るものであるので、クリエータとしても一流の人材によるものであったことが作品を通してわかる。
戦前の日本はデザイナーなどのカタカナ職種はなくて、デザイン事務所という形ではなく、大企業に図案課のような広報関係の制作部署があって美術関係の学生の就職先になっていた。当時でも絵描きという職業は容易には成り立たないので、美術に関連した仕事に就きながら絵を描き続け、そのうちに画家になる人もいた。今日でもデザイン志望の人には本来は絵を描きたい人は多いと思える。
この新聞広告変遷は、明治の終わりから敗戦までの50年ほどの日本のグラフィックス史の一部であって、大正の初めまでは日本の美人画をベースに西洋画の女の品を導入していくようなものが多い。美人がルネッサンスとでもいうべき時代だろう。(参考:中将湯など)
ところが大正時代はモダニズムが大胆に導入された時代でもあって、日本の商業美術は世界的な美術の変化に反応して一皮向けていった。(参考:カルピスなど)
昭和になると日本も西洋文化に相当馴染んだようで、世界的なデザイン水準になっていく。鍋島氏の用意した資料では昭和3年(1928年)ころから写真が使われていて、しかもその写真(亜鉛版)の質は非常に高い。描画も絵の再現ではなくハーフトーン(平網)の導入とか印刷用線画が確立していくのが分かる。
つまりそれまでは美術の軒下に育った商業美術が、この頃から写真や印刷技術を味方にしてデザインとして独立していくかのように見える。
昭和は226事件の頃からどん底に向かっていくのだが、広告は印刷技術を駆使して、今日のグラフィックデザインの礎を築いていったようにみえる。鍋島氏は先日なくなられた天野祐吉氏が高く評価した片岡敏郎の紹介をされたが、私にとっては懐かしい反面、やはり古臭さは感じてしまう。つまり当時モダンでインパクトが強いほど、別のイメージに取って代わられることも大胆に行われてしまう。
広告やデザインを志す人が片岡敏郎に学ぶところは多いのは事実だが、作品そのものが世間に永遠に受け入れられるものではないところがデザイン分野だから、ということもいえる。
この鍋島氏の新聞広告変遷をもとに、いろいろなディスカッションをすると、また面白い話がいろいろ出てきそうに思える。