投稿日: Mar 08, 2011 10:55:37 PM
果たして素人は使いモノになるのかと思う方へ
TV番組は国民的人気者タレントは減って、昔に比べて素人の登場するものが多くなった。一時は素人をおもちゃにして弄り回す番組もあった。素人のやっていることの面白い部分だけ何秒かずつ細切れにして編集するものが多い。しかしマスメディアも長い時間をかけて少しずついろんなバリエーションを増やして、素人が人生の山谷を語るものも出てきて、社会の鏡としてのメディアという性質をいくらか備えるような方向にある。イカ天やダンス甲子園のように素人を主軸にした番組企画もあったが、しかし番組が終わると当然素人さんは行き場を失う。実態としては放送されないコンテストやイベントはいつでもどこかで行われているが、番組コンテンツとしてそれらをプロデュースするところがないのである。UHF局やFM局、CATVなどはローカルコンテンツを発掘する目的もあったのだろうが、なぜかそこが中心になることはなかった。
アメリカの黒人音楽のレコードでいうとR&BやSoulは、人口が何倍もある白人のCountry&Westernや、Jazzよりも多く、Rockをいくらか下回るくらいの録音数だった。黒人は人口当たりの歌手数が非常に多いのだが、超スターでない黒人が録音するのは夜間だった。多くの歌手は昼間は別の仕事に就いているのでスタジオに集まれるのが夜になるのである。つまり「素人」のタレントを活かそうとすると、マスメディアの仕事のやり方ではやり難いことが考えられる。つまり「素人」の生活に沿った形でメディアつくりをするように変えなければならない。
実はいろんなところで「素人」のタレントはメディアで活躍している。予備校はAVの遠隔授業を行っていて、名物先生が生まれたり、公立の先生であっても実験授業などの達人はTVの番組を持つこともある。これらは既存のメディア制作コストやプロセスが必要だが、Ustのようなメディアに載せれば、もっと多くのコンテンツが作れて、それらを見てもらえる機会も増える。Wikipediaのような共同作業によって、動画も含めて日本の義務教育に必要な教材をすべてクラウド上に揃えることだって不可能ではない時代である。(在留外国人や不登校などなんらかの事情で義務教育の機会を十分もてなかった人のためにもなる) しかしコンテンツだけあっても教育ができるわけでもないので、学校の教室に代わるソーシャルメディアのようなものが求められることになるだろう。
まだ「素人」のタレントを使っての、お金が十分にまわるビジネスモデルはできないで、今までNPOなどで共同作業をしてきたことが効率化するとかリーチ拡大するという段階が先であろう。TVでも社会的に必要で重要な番組も行われるが、その続きに番組がいつ行われるのか、また質問や意見交換をどうすればいいのか、というようなテーマの継続ができない。番組のホームページが作られるようにはなっているが、むしろ求められているのはテーマのホームページなりソーシャルメディアなのであり、マスメディアの番組の下に社会がぶら下がるようにはならない。記事『不完全燃焼のアマチュア動画』では素人による動画の共同編集の話を書いたが、当事者達が入ってメディア作りをする環境は整いつつある。
専門的な情報の提供も、情報の共有も、当事者同士が主体的に行える場として、ソーシャルメディアが発達する可能性は高い。デジタルメディアのデータ蓄積や検索性に加えてキュレーションを強化すべきという論調が多くなっているが、実際に具体的な目標を掲げて、コンテンツ・共同編集・ポータル・キュレーション・ECをうまく組み合わせる開発に着手する時期であろう。