投稿日: Aug 15, 2013 12:27:6 AM
言葉で戦争を語る限界
BookOffが存在しなかった頃、古本屋の前に置かれたワゴンに100円とかの本がつまれていた。これらは大抵はありふれ過ぎていて売れない「トットちゃん」とか「ジョナサン」などであったが、一方で書籍の流通に乗らなかった一風変わった本もあって、割と丹念にワゴンのチェックをしていた。
20年前くらいには第二の人生では「考古学+人類学+民族学」をミックスした新ジャンル作りに捧げたいと思っていたからだ。考古学はモノを手がかりに文献などない事象を解き明かす。人類学は普遍的に人類とは何かを考える。民族学は世界の諸民族の文化や社会の特徴を調べる各論である。これらをミックスすることで、例えば3000年前の日本人の暮らしをリアルに考えられるようになるのではないか、と思った。その資料として、第2次大戦でアジアの各地に行った日本兵の体験記が欲しかったので、関係した古本を集めていた。
こんなことを考えたのは歴史書に残された記述は一面的で誤りが多いというか、そもそも人類の足跡を日記の如く文字で表現するのは無理があると思ったからだ。歴史書は言葉の独り歩きが多い。その言葉の背景にどのような人の営みがあるのかが問われないまま、言葉の議論になりがちだと感じた。例えば中国の歴史書に出てくる「夜叉」というのは生き血をすすり、生肉を喰らうと書けば恐ろしいように思うが、場所によってはそういう生活が不自然ではない場合もある。シベリヤの民やイヌイットがそうであって、決して攻撃的でも残忍でもない。現代でも中国でネズミの肉が食肉に混入されていたという報道があったが、モンゴルではネズミは食用であって、不潔とは決め付けられない。言葉のイメージが歴史観を主観的にしてしまうことが良くあると思う。特に戦争はそうであり、「考古学+人類学+民族学」のような多角的でリアリティを持つアーカイブが必要と思う。
人は異なる文化を好き好んで理解しようとはしないが、日本兵は好むと好まざるに関わらず、東南アジアの諸民族と接してきて、そのカルチャーショック体験が戦後にいろいろな出版物に現われた。例えば首狩族といわれたところへ行ってみたら、人々の暮らしはどのようであったか、とか、日本の兵隊は農民出身者が多いので各地の農業の発展段階が観察されているし、日本人にとって「へえ~」な家族の単位、婚姻の風習などなどの事柄が1960年くらいまでものすごく沢山記録された。
しかし一部の本は大手出版社から出たものの、殆どは自主出版とか、零細出版社のもので、おそらく初版だけで消えていっただろう。書いた本人にとっては生死をさまよった貴重な経験だったのだろうが、話としては大ドラマではないものが一般人の書いたものの殆どだったからである。中にはゆきゆきて神軍のように話題になったり、淵田美津雄自叙伝のように作り直されたものもある。ほっておくと平和な時代には一般人の戦争体験は風化してしてしまう。ネットの時代になって出版コストが紙ほどはかからなくなったので、Webやblogで一部の戦争体験は復活している。しかし私がかつて古本屋のワゴンで見たようなものは、まだ殆ど復活していないようだ。今後それらも電子書籍などで出てくるのかもしれないが…
テレビも毎年8/15には何らかの特集が行われていて、きっとDVDなどにもなっているのだろうが、太平洋戦争の記録を総合したリポジトリのようなものは存在するのだろうか? 個々の資料に書かれた事の真偽になると、歴史書の言葉の独り歩きのようになってしまう。歴史の専門家が決め付けたかのような記述は一般人の体験と照らし合わせてみて判断するのがいいだろう。つまり一般人の資料が溜まれば戦争とはどのようなものであるのかというアブストラクトな捉え方ができるようになるだろうし、それが個々の記述の真偽よりも重いものになると思う。