投稿日: Feb 17, 2016 12:57:51 AM
過去にデジタル印刷について研究会をしたり、調査したり、考えたことを、昨日振り返っていたのだが、デジタル印刷のプロジェクトがあまり進まない原因と、ネットでの新しいメディアがあまり進まない原因は似たところがあると思った。今はニュースサイトのように、コンテンツの支給元がどこか別にある場合は、メディアと称しても見せるとか配信をするところのみを考えればよいが、それはあまり面白味がない。これらは本来ならば通信社やマスコミがやればいい事業であって、彼らが及び腰だからと言って、部外者があまり革新的なことはできないだろう。彼らに匹敵する取材や編集の能力を今から持つのは難しいからだ。
結局メディアに関する事業は編集能力の勝負である。マスメディアには多くの人材がいるものの、マスメディアのことが揶揄されたり限界があるように言われるのは、やはり今の編集体制の問題であって、紙かネットかということは2次的な問題である。雑誌が凋落なのは広告が付かなくなったからであって、購読予約制にして広告に依存しないビジネスモデルに切り替えるのを嫌がったり見限ったりしているのが現状である。それは年間購読の前金が払ってもらえるほどの期待感のある媒体が設計できないということである。
もっといえば、読者の人生とかビジネスにとって必須な媒体は、ネットでの情報流通が増えるにしたがってアナログメディアでは相対的に減ったわけで、小さな経営をしなければならなくなったとか、多言語対応して海外に販路を広げるとか、次元の異なる経営が迫られているが、そういうのは乗り難い出版社が多いのが事実だ。
ネットメディアは貧弱でも著者とか当事者が直接情報発信しているのが強みで、そこに対してメディアは対抗できない。それはオールドメディアの編集者が第3者化してしまって、当事者感覚の企画編集ができにくくなったからではないか。
結局社内に編集スタッフは抱えていても、魅力のある媒体設計ができないので、会社も人も閉塞感に覆われてしまったわけだが、これを突破するにはアナログメディアの経営サイドに期待をかけるのは難しいので、編集者の転職とかベンチャー化という以外に、紙であれネットであれメディアビジネスの発展はないように思う。
しかし編集者とかジャーナリストを社会に送り込む教育機関とか私塾とかが日本には非常に少ない。これは日本のアキレス腱でもあって、今でも日本は北朝鮮とか中国のようになりやすい国なのである。
だから日本の編集者のすべきことのひとつに編集者を増やすということがある。かつて松岡某氏の編集の学校とタイアップを考えていたことがあった。いろいろ言われる氏ではあるが、長く編集とは何かを考えてこられたから当然なのだろうが、編集の要素を非常に抽象化して捉えて、いろいろな局面でそれを活かすようなトレーニングをしていた。そのようにあまり汎用的に考えると、これはもう義務教育の中に入れてしまった方がよいような気もして、ちょっとメディアビジネスからは離れたものになっていた。
この問題は一般の組織人に編集を教えるべきか、編集者に一般業務をやらせるべきか、ともいえる。
確かにいろいろな局面で編集能力は必要なのだが、今までの編集者という経歴を喜んで迎えてくれる一般企業は少なく、ビンボーライターとしてネットの片隅に吹き溜まってしまいがちである。とすると編集者も編集以外にもう一つ芸を身に付けなければならない。事実自分が強い分野を持っていればライターとしても活躍できる部分は広がる。そこでライターに終わらずに実社会の中で何らかの当事者になって社会に対していろいろな仕掛けができるようになればよいわけだが……………
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