投稿日: Sep 25, 2012 12:29:15 AM
もうすぐ行き着くと思う方へ
インドの会社が$49ドルの7インチのAndroidタブレットを出し、政府は僻地の学校に大量に配るという案がある。これがすぐに大きな効果をもたらすとは思えないが、長年夢のようにいわれていたコンピュータのコモディティ化がついにここまできたのかという意味では、大きなテーマである。まずは製造面でいうと、コンセプトやアーキテクチャはこの種のタブレットに関しては終わっていて、$49タブレットを実現するには中華$100タブレットに対してバッテリやメモリもけちっているものの、構造や部品数は同等であると考えられる。そうすると組み立て代が中国よりも安くなっているんだろうなと考えられる。タタ自動車と同じで機能をキリつめて安く上げたらこうなるという典型なのだろう。
こういった部品は従来のデスクトップPCやnotePCとは異なり、記事『実はムーアの法則は数年前に終わっていた 』で書いたように、スマホやモバイルルータで使われているARMベースのSoCと同じ技術の応用なので、いわゆるコンピュータ部分は2000円以下でできるはずだ。これでも前世紀末のWindows以上のことができるのである。だから子供も含めてパーソナルなIT化が現実のものとなった。巷では、未だにiPadMiniがどうとか、KindleFireが、Koboの新しい端末が、Googleの端末が、Microsoftのものは…といろいろなタブレットの話題がもちきりだが、タブレットの構造も原価も丸裸なのだから、こんなハードウェアでどこかが大もうけする日はこないだろう。
むしろもっとこれらを利用する上でのもっと大きな課題にビジネスの機会を見出すべきである。ネグロポンティ教授が原価$100でラップトップPCを作って発展途上国の学校に使わせるというプロジェクトをしたことは記憶に新しい。このプロジェクトの直接の成果はintelのAtom開発につながり、皮肉なことに製造メーカーがWindowsのウルトラモバイルPCにして$300あたりで売って成功したことである。肝心の発展途上国では、TechCrunchによると『ペルーは2億2500万ドルを投じて85万台のラップトップを供与したが、教師の能力が伴わなかったために算数でも国語でも成果を上げられなかった。』ということだ。
このことが意味しているのは、コンピュータを使い慣れたところではウルトラモバイルPCでもタブレットでもどんどん活用するようになるが、そもそもコンピュータに馴染んでいない社会では、非常に簡単なことに思えても利用が進まない事実である。それはコンピュータがいくらコモディティ化しても文具とは違い、情報に関するリテラシーがないと使えないことである。鉛筆でも学習に使うには文字を覚えなければならないが、コンピュータでその段階のことをしようと思うと、まずインフラとして文字コードの制定から始めなければならない地域もある。ネグロポンティ教授のプランを知ったときに真っ先に疑問に思ったのはその点だ。
つまり、製品には寿命があり新陳代謝するので何年か先にはリプレースされていて、ITの場合はデバイスがパソコンからケータイやスマホなど変化して新たなサービスも増えるが、メールやWebのような以前からのサービスも継続して使われる。利用者側からすると過去の習熟は無駄にはなら ず、さらに新たな習熟を重ねると利用価値が増えていくことになることを、記事『成長の鍵はソフト化・サービス化』で書いた。
これを別の言い方をするとリテラシーの向上とともに伸びるのがソフト化・サービス化であって、タブレット応用の関連ビジネスが大きくなるとすると、このような学習型の発展をするコンセプトを作った場合であって、デバイスの優劣でリテラシーが向上するのではないのだ。
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