投稿日: Mar 05, 2013 12:45:2 AM
重箱の隅をつっつきがちだと思う方へ
デジタルコンテンツと言う形のないものを扱うとなると、在庫と言うモノの資産はなくなるので、権利だけが資産になる。ところが過去の日本は契約とか権利関係を明確にしてビジネスをすることが苦手だった。アナログの時代はいくら権利を主張しても、モノが生産されないとお金は回らないので、どうしても現物に裏打ちされた権利のみが有効だったのである。カメラマンの押入れにしまってあるフィルムに権利を主張しても何のタシにもならなかったが、今はネットで画像データが自由に流通するようになった。それで画像を含めてのあらゆるデータの利用局面は広がってきた。
しかしデータを利用するとなると、この写真は誰が何時何処で撮ったものであって、被写体に撮影の許諾は取られているか、利用上の制約はあるのか、などの情報が画像に伴っていないと実際には使えない。このことを整理すると、権利が発生するところがどこか、権利者は誰か、許諾のネゴシエーションはどうすればよいのか、などの定義やルールや処理機構が必要になり、それもあまり手数のかかるものではなく、必要なときにすぐに処理できるものでないとコンテンツビジネスは活性化しない。
これらに関しては日本で電子出版が話題になった1980年代から、殆ど進歩がない部分も多い。それが紙の出版物をデジタルで2次利用をすることの障害になりがちだ。権利問題はどうしても法律の専門家の意見を聞かなければならないが、それ以前にビジネスのスタンスが合わないと法務での合意がし難いという状況がある。以前書いたことがあるが、広告、音楽、画像、映像、文章、それぞれのコンテンツごとに過去の商習慣もスタンスも異なるのに、今マルチメディアでひとつのパッケージにこれらを詰め込まなければなっているのだから、過去の商習慣や権利を主張しているばかりでは、一向に埒があかない。それが現状である。
電子書籍という紙の本のアナロジーが制作面では分かりやすいのは、素材が文字ばかりだからで、これを雑誌のようにするとかマルチメディアにするのは、上記の理由で日本では立ち遅れてしまった。つまり個々の権利処理とかをガチガチ決めていけばデジタルコンテンツが活性化するという単純なものではなく、ショートコンテンツや断片であっても、いろんな人にどんどん使ってもらって、幅広く機動的に小額課金をしようというスタンスに立つ人々が集まって、新しくてグローバルにも通用する権利処理のスキームを考えることが必要なのである。