投稿日: Sep 16, 2011 11:21:1 PM
「いいね」が何を起こすか注目している方へ
街を歩いていて通りすがりで興味のあるものを見つけたとき、どこかでおいしいものを食べたとき、本屋でいつか読んで見たい本を見つけたとき、それらの対象物に「いいねQRコード」のようなものがついていて、それをケータイ・スマホで撮ると、Facebookとかソーシャルメディアに何処の何であるかが記録されて、友達もその情報を共有できて、詳細も見られるようになると、日常の生活の足跡のある部分をネット上にログとして残せる。今のWebなどで「いいね」ボタンを押す段階から、スマホのようなモバイルのデバイスでリアル世界も同じような振る舞いをするユビキタスな段階にさしかかっている。
ケータイ・スマホで写真を撮るのも、メモ、メール、投稿、Blog…と活用方法が増えて、かつての単なる写真を超えてしまった。写真を撮るには被写体に狙いを定めて採光とか撮影条件を加味してシャッターを押して、後でいい写真を選んでトリミングして…といった手順はスマホでは関係ない。1日を振り返って日記を付けるのと、ネットでいろんなものを参照しながらBlogを付けるのも違うし、SNS・twitterなどショートメッセージを残す方法が出てきて、一日単位でBlogをまとめるということもしないでもよくなる。自分の意識にひっかかったものに「いいね」をつけておけば、それらのデータ自体が自分の映し身のようになる。
当然今後も写真も日記もBlogも、それ自体として趣味で続けている人は居るだろうが、趣味でもない人の情報の扱いは緩やかに変化し続けていて、それらがワンストップ化してまとまるのがソーシャルメディアのようなプライベートなポータルではないか。そこには友人・知人の情報もあるが、それらにも「いいね」を押したものだけをブックマークのようにどこかに蓄積していけば、自分自身の嗜好を見る鏡のようなものができあがる。こういったプライベートな情報ならば本人にとっても大事なものになるはずだ。大事なものにならなければ、そのうちソーシャルメディアも捨てられるだろう。
つまりマーケッティングとして、景品とか割引などインセンティブをつけて企業活動に「いいね」を押させる動きは盛んになるであろうが、そんな本心でないダーティーな「いいね」で、自分のライフログを汚すことをことを人は嫌がるようになるのではないだろうか? そうすると、この個人の化身のような「いいね」集積データの信頼度は上がり、マーケッターはソーシャルメディアでプロモーションをするつもりが、逆に企業側の評価が如実に出てしまうものへと、売り手と買い手の力関係が逆転するかもしれない。例えば、テレビも視聴率に代わって、番組中に「いいね」ボタンがどれくらい押されたかで評価されるようなイメージである。