投稿日: Apr 06, 2016 11:50:7 PM
上の図はPVでしか考えていないもので、ネットではありがちのものの見方だ。fbやtwitterを使っていると、ホリエモンが何か発言しているような話題が時々あるが、元の情報を辿って読んでみたいと思ったことは無い。おそらくネットでしか話題にならないのだがbloggerというライターで有名になった人たちが居て、ホリエモンのようにblog発言が話題になっている時も同様に読む気がしない。つまり私は有名なBlogは全然読んでいないのである。読まなくてもそれらに関するtweetなどをみれば大体の推測はつき、それで十分だという気がする。
これらblogの多くはnewsか何かの評論のようになっていて、別に何かを調べたり考察しているほどのものではなく、どっかのメディアで知ったことにbloggerが直感で反応している程度ではないかと思う。それは一つのテーマを追い続けているようには見えないからだ。
一方で話題にはならないが、特定のテーマに関して何年も書き続けている専門的あるいはマニア的なblogも多く、これらは結構お世話になることがある。しかしそれらのアクセスは非常に少なく、有名bloggerの何千分の1にしかならない。
誰でもblogで情報発信ができるようになったものの、一見した「成功者」と、blogならではの「価値」は両立していないように思える。紙の雑誌のようなマス的メディアでは世に出ることのなかった多様な分野の専門情報が「無名」blogに書かれて、それらが検索エンジンでひっかかることは価値がある。しかもそれらはずっと蓄積され続け価値は増える。しかしその情報には経済的な循環はない。
一方で検索されることはないであろうblog「成功者」は有料コンテンツになったり、広告がついたりして、それなりに収入になっている場合もある。しかしそれらの情報を蓄積してもそれほど価値はあがらないだろう。まあ本人がblogを下書きにして書籍化するということはあるだろうが…
今の日本のbloggerさんの人気はテレビのコメンテーターのようなものかもしれない。自分の「やりたいこと・いいたいこと」よりも、人々が関心を持っているニュースなどにコメントしている立場だからだ。これがその人の一生の仕事になることは無いだろう。
紙の本の時代でも、コンサルタント業では名刺代わり営業代わりに本を出すことは行われていたが、それはそれで何らかの専門性があったのだが、井戸端会議的なbloggerはアクセスを稼げる以外にどんな効用があるのだろうか?冒頭の図のような区分はどんな意味があるのだろうか?
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