投稿日: Jan 26, 2015 12:39:37 AM
東京の国立西洋美術館の前にオーギュスト・ロダン作の「カレーの市民」があるが、これはイギリスとフランスの百年戦争時の物語である。フランス側の重要な港カレーがイギリス軍に包囲されて、カレー市は飢餓のため降伏を余儀なくされた。イギリスのエドワード王は、市の主要メンバー6人と引き換えに市民は救うと持ちかけ、カレー市の裕福な指導者たちが人質を志願し、彼らはズボンまで脱いで処刑に臨む姿をロダンは群像として作り出した。
結局イギリス側でも彼らの助命の動きが出て処刑されずに済んだのだが、国境をお互いに接している欧州ではこのようなお互いに攻めつ守りつの長い歴史がある。
人質交渉というのは司法取引と似ている気がする。本来の理屈道理に考えたら矛盾するすることをしなければならないからだ。しかしこういう矛盾はあり得ない話ではなく、むしろ洋の東西を問わずに昔の戦記物には何がしか苦渋の決断として描かれてきたことではないか。
日本は矛盾をかかえたまま前に進むことが苦手であったのだろうと思う。例えば戦争で不利な状態になった際には、どのように負けるのがもっとも被害が少ないかという戦略をたてなければならないが、過去の歴史を見る限りそのような検討はさせてもらえなかったようで、勝つまで戦うか、全員討ち死か、というような2者択一の議論になりがちだ。
アメリカの犯罪捜査はオトリ捜査が相当あるように聞くが、捜査側が麻薬売人のふりをして売買を持ちかけて、相手が麻薬取引を始めたところでつかまえるとか、捕まえた犯罪者が捜査に協力するなら減刑するとか、法の運用として大丈夫かと思うようなこともされている。日本人は最初の志を終始一貫して貫くのを美しいと捉えることがあって、大きな成果を得るためには矛盾に満ちた紆余曲折も構わないという人は少数派かもしれない。
日本のキリシタン弾圧の場合に、キリシタンを識別するのにイエス像とかマリア像の絵を踏ませる踏み絵というのあったが、キリシタン側は心の中で信仰を継続させればよいので、形式としての踏み絵は必ずしも拒否するものではなく、幕府側の思惑は通用しなかったので隠れキリシタンは続いていった。踏み絵を踏まなければならないキリシタンの側にはそれぞれの苦悩があったであろうが、矛盾を超えた人によって信仰の継承がされたのである。
矛盾を超えるには、今起こっている事象よりも、もっと普遍的な思考の場に行かなければならない。土俵を替えて思考するようになる必要があり、その中で目下の戦闘状態にどんな意味があるのかも見えてくるのだろう。
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