投稿日: Sep 06, 2011 10:34:6 PM
日本の組織はウェットだと思う方へ
最近、日本に元気がないというような記事とか書き込みが多い。元気塾とかその手のイベントも増えているのではないか。引きこもりとか就職難ということも関係しているかもしれない。戦後すぐは食いつなぐために仕事に就こうとしたわけだし、70年代は個人の価値観に基づいたライフスタイルを求めたりしたが、バブル以降は「勝ち組、負け組」みたいな受け身の視点が出てきた。この頃から日本人の自律性が薄れて、特に若者のモノの見方は分からなくなったように思う。最近割と過激な個人Blogのプロフィールを見たら学生さんでニート志向と書いてあって、何のことかわからなかった。特にネットで異常に発言しまくる人が、リアルでは何にもしていない人であったりするので、実は何かしたいこととか言いたいことがあるのではなく、ネットで目立つことしか自分の存在を確認できない人がいるのだろうなと思う。ゲーム人生とでも言おうか。
日本を元気つけようとか、若者に元気を、という掛け声は、一体誰に向けて発せられているのだろうか?自分の身の回りを振り返っても、同僚で元気のある人は昔からそうであったし、途中で元気がなかった人が元気になったという記憶はあまりない。これは面接・採用においてもだいたいはあてはまる。問題があるなと感じるのは、元気がないのに学歴がなまじっかあるばっかりに、元気のある人と同じような処遇でも同じような成果が出せない人であって、そこに外部から自己啓発を押し付けるような元気注入は意味がないし、会社はそこまでする必要はないと思う。会社がそういうことにかかずらわっていると、管理がウェットになって、組織のパフォーマンスは落ちるだろう。
組織というのはドライでないと前進できない点と、そこで働く人のケアというのがうまく切り分けられていないのが日本の企業かもしれない。欽ちゃんが野球の監督としてどのように振舞っているのかは知らないが、番組では素人に過剰に優しく接している。しかし野球の試合中に、「せっかく遠くから参加して、よくがんばったのだから、セーフにしてあげよう」というわけにはいかないだろう。実力をつけるには事実を厳粛に受け止めるしかないはずだ。組織がウェットに対応しすぎると、そこに働く個人の自律性を損なうことになる。自分がやってうまくいったこともいかなかったことも自己評価をちゃんとすることが自律であるのに、バブル後はオトナの側の後ろめたさもあって若者に自己評価を避けてもいい風潮を作ってしまったのではないかとも思う。
日本に仕事がないはずはなく、創業する機会も多くあるのだが、苦労はしたくない(親からはさせたくない)とか、世間体がよいほうがいいとか、いろいろな理由をつけて親子ともども現実から遠いところへ行ってしまっているケースがある。たこ焼きを開業するのに、自分でやるとのフランチャイズ・チェーン店加入とでどんな差があるのかを、経験に基づいて説明しているサイトで、苦労は必要でも自分でする方が利幅がどれだけ大きいか、フランチャイズでは借金だけが残る可能性もあること、などを説明していて納得したのだが、世の中の仕組みは昔と何も変わっておらず、人の意識だけがこの何十年間あちらこちらにシフトしていただけである。
今の時代の意識の偏りのひとつにネット依存症というのもあって、そこでの発言が大変意味を持つように思ったり、またベンチャーのスタートアップでもネットで一儲けできる機会が増えているかのような錯覚がある。確かにネットを利用する機会は増えるのだが、リアルにおいて何か良い方向に作用するものでないと継続的な成長はありえない。日本を元気つけようというのなら、リアルの世界に強い人間を訓練しなければならないだろう。