投稿日: Feb 26, 2014 1:37:35 AM
地元振興だけでは縮指向
システムソフトの創業者樺島正博氏のfacebookページができている。システムソフトのことを記事『ベンチャーの土壌』で書いたが、まだ語られていないことが山ほどあるので今後を期待したい。パッケージソフトの世界は1995年のWindows95以前と以降では大きく異なり、それ以前はアメリカ産のソフトを日本語化していたのが、ユニコードの頃からは開発側がインターナショナライゼーションを意識するようになっていった。システムソフトはゲームから受託からいろんなソフト開発を行っていたが、DTPの日本語化という点でもパイオニアだった。
初期DTPでは北海道でPageMakerが、九州でQuarkが日本語化され、その他も関西や北陸でもDTP開発があった。パソコンの登場以来、ソフト開発はどこでもできるようになったのだから、日本各地にIT産業の機会が生まれた。その後どのくらい日本の地方はIT力を上げたのだろうかと思う。
1980年代の日本のベンチャーは北大・九大を含め、やはり人材ベースで起こったもので、ベンチャーは人であると思うし、だから有名大学の学生が大手企業の就職ばかりに向かい出すと日本のベンチャーの育成は難しくなるだろう。アメリカの有名難関大学の場合は卒業生のうち成績トップクラスは起業を目指し、それに次ぐクラスはコンサルなど独立をめざし、真ん中以下が企業の就職に向かうようなことを聞いたことがある。
これは大学が学生にどんな資質を与えようとしているのかという違いでもあるように思う。日本の大学は第一に就職率を気にするサラリーマン養成所となっているわけだが、それではベンチャースピリットをもった人間を輩出できるわけがない。
もっともベンチャー振興を大学に負わせるのは間違いで、本来は家庭で子供が将来どういう方向を目指すのかを叩き込んでおかなければならない。これは家庭環境とか文化の問題になり、子供は結局は親の背中を見て育つので、親にベンチャースピリットがないことには、子供が職業選択でサラリーマンが一番楽してお金がもらえるからいいと思うのは仕方がない。過去30年ほどの日本が、大過なく過ごせて安住することを第一にしてきた価値観のつけが、今の産業の沈滞をもたらした。
だからもし日本再生のためにベンチャーを振興したければ、安穏と暮らそうとするサラリーマンに辛くあたるような産業政策をしなければ、自立し自律的に生きようとする若者は増えてはいかないだろう。
1980年代に地方でベンチャーが頑張っていたのも、東京に比べて依存する顧客が少なかったからであろう。システムソフトの回顧でも地元のマーケットが小さいので、会社を伸ばすには地元以外の売上比率を高めるしかなかったことが、外に向かって活動することを駆り立てていたことがわかる。
まだブルーオーシャンは無限にあるのである。