投稿日: Feb 28, 2012 12:34:28 AM
アナログの庇を借りても成長できないと思う方へ
アメリカの大統領選挙に向けた共和党の予備選の様子を見ていると、アメリカにおける保守とリベラルの違いは何かということが浮かんでくる。保守は過去のアメリカのやってきたことはすべて正しいという人で、アメリカにもいろいろ問題を抱えているというリベラルに難癖をつけるために、同性婚とか外国への謝罪などを採りあげて、そういった姿勢が今のアメリカをダメにしている原因であると主張する。なるほど保守なのだということはわかるが、過去の美化で今日の問題が解決するとは思えない。むしろ過去を絶対的な基準にする価値観の尺度が今日の問題に対応できなくなっている原因ではないかと思う。
電子出版というものに30年ほどつきあっていて感じることは、今の出版の経営者が若かった頃には、すでにテレビの時代になっていて、情報の電子化は広がっていたのに、それに背を向けた人が紙の出版を営々としてきたのだということだ。アナログのビジネスからデジタルのビジネスに移行するという課題は、1970年代から何だかんだ取り組まれていて、もう40年経ったというのに堂々巡りが止まらない。それはアナログの母屋の庇を借りてデジタルを始めるという手法だが、結局それはデジタルの芽を伸ばすことができずに、母屋が庇を押し潰してしまう。しばらくすると少しテーマが異なって同じことが行われる。
この紙の出版モデルでデジタルのビジネスを評価すると、デジタルは成り立たないから撤退しようという判断になるのに、また新手のデジタルが登場すると同じことを繰り返すという堂々巡りの根本原因は、ビジネスの立脚点を変えられないことにある。昔電話帳で寿司屋は「日本料理/割烹」に分類されていたため、「寿司」でひいても回転すしや京樽のようなテイクアウト専門は載っていなかった。本格的な寿司屋は大衆的寿司と一緒にされたくなかったのだろう。紙の出版社も電子出版に対して違和感を持ち続けてきたことは明らかである。また受験産業は文部省管轄には入らずに情報サービスとして通産省管轄に入ったがためにIT化ががんがん進んで、文部省系学校にコンサルするまでになった。つまりコンテンツは同じようなものでも、ビジネスの立脚点を変えないと新しいことは進まないことを表している。
立脚点の異なるビジネスを同じ経営体で行うことはできない。つまり新ビジネスの側から将来性を考えると、母屋と庇の関係になるよりも、親から勘当された方が成功率が高いかもしれない。アナログのビジネス側からするとデジタルのビジネスに口出ししたり庇護しない方がよい。記事『ソーシャル時代の新しいジャーナリズム』では、デジタル・ファースト・メディア社の社長が「紙の新聞で育った連中の意見にはもう耳を貸さない」と言っていたように、いったんは絶縁した上でそれぞれのビジネスを革新しつつ、同じ情報源や同じ市場を扱うという点では対等な立場で提携を考えるという、新たな関係作りが必要になるだろう。