投稿日: Aug 10, 2011 10:39:34 PM
一般人には原発事故は理解し難いと思う方へ
東日本大震災復興支援講演会のポスターチラシの制作を引き受けたときに、バックに「国・自治体による高さ1m・0.5m計測を中心とした放射線量マップ」というのを使った。似たものとしては「文部科学省及び米国DOEによる航空機モニタリングの結果」があった。8月11日の朝日新聞朝刊には後者をベースにしたようなセシウム蓄積量の地図が載っている。これらを見ると、セシウムは原発からは同心円上に拡散しているのではなく、半径30kmであるかどうかに関わらず、それ以外でも飯舘村のように蓄積の多いところがある。30km圏でも低濃度のところの住民が30km圏外の高濃度のところに避難させられたという矛盾もある。飯舘村の濃度はチェルノブイリの強制避難レベルであったにもかかわらず、30km圏外なので自主避難になっている。
この放射線量マップをみると多くの不可解な現象が浮かび上がる。不可解さというのは情報の矛盾や足りなさからくるのだが、マスコミは東電会見や国・自治体が発表した情報しか取次がず不可解さに迫らないから、不可解さは置き去りにされている。朝日新聞には原発からの放射性物質の流れのシミュレーションを名古屋大学の先生が行った資料も掲載していて、それからすると飯舘村・浪江町に高濃度放射線量をもたらせたのは3月15日夜の風向きであると判断できる。しかしその時何が起こったのかが書いていない。当時の東電の会見では、核燃料格納容器内部の圧を下げるために放射線も放射性物質も放出してしまうVENTをいつ行ったかについて、説明の言い直しをしている。それによると3月16日から17日にかけて2号機で実施したことになっているが、そこは朝日新聞は触れていないし、実は東電がまだ明かしていないことがある。なぜ海風の真夜中に(新聞の原稿締め切り?)に放出の弁操作をしたのか、しかも翌朝また何かが起こったのか?
ポスターを作りながらインターネットでもっとましな情報はないかと探していたら、東北大学流体科学研究所圓山重直氏の「放射線データによる原子炉事象の検証 2011/6/20作成」という情報があった。それからすると「(2号機は)15日6時にサプレッションチャンバー(SC)が破損し大量の放射能が放出された、この放射能と15日22時頃の3号機のベントが飯館村などの福島県における汚染の主原因となった。」と記され、これは説明がつく。同等の指摘については2ヶ月近く後の8月8日のニュースでも説明されている。3号機は水素爆発の破損状況からしても一番の壊れ方をしていて、15日真夜中の漏れも一番多かっただろうと思えるが、それ以外に3号機はプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料を使っていて、事故時の人体への危険性はさらに高いというオマケがつく。
3月16日朝にも3号機から白煙が上がっている様子はTVで実況中継されていたし、枝野官房長官もTVに出ずっぱりで説明していて、原発周辺でも高い線量が検出されていた。しかし白煙の行く手である地域での計測は不十分で住民避難は適切ではなかった。VENTをするなら風向きが海に向かっている日中にするべきで、風が内陸部に向かっている(海風)なら徹底的に避難をさせなければならないはずだ。しかしその時点では東電は何が起こっているか発表していないので、適切な対応ができるはずがない。まとまった分析が発表されたのは1ヶ月以上経ってからで、その内容は当時のニュースと符合する。12日から16日の間の水素爆発や白煙というのは只ならぬ高線量放出であったことがよくわかる。海外ではチェルノブイリ級といわれたが、日本ではそれほどでもないと思われていた。しかし被爆面積が狭いだけで、住民の被爆線量としては同等に危険なレベルであった。当時は危険性を訴える専門家は封殺されていたのである。
この期間の風向きに応じて地表の汚染度合いが決まったことが、冒頭のマップなどでよくわかるのだが、国や行政の除染作業予定はこういった情報から考えてもピンボケなものが多く、専門家を集めて対策を立てようとしているはずなのに、どうして有効に機能しないのか不思議である。飯館村にも放射線医学の専門家が出かけていって「安心しなさい」的な講演を行っていたが、東電側に都合のよい専門家だけを集めて、原発事故の分析を踏まえないで心理対策をしているように思えた。行政側も緊急フォーラムのような科学者のオープンな話し合いがこの間一貫して企画されなかったのが不思議である。専門情報は断片でしかなかったのである。
事故に関してはマスコミよりもUstream・ニコ動などで多くの専門家の意見が取り上げられていて、視聴者がそれをベースに断片的な情報をつなぎ合わせると、全容は見えるような気がするのだが、本来のジャーナリズムはそこまで行って報道するものではないかと思う。逆に言えば、原発の事故を曖昧にしておきたい立場からすると、断片として本当の情報が漏れてしまったとしても、それらを再構成して総合的な問題点を考えることはだれもしないだろうと、日本のジャーナリズムはなめられていることでもある。