投稿日: Jul 06, 2010 12:51:1 AM
twitterブームの意味を考える方へ
twitterは近年登場した新しいコミュニケーションである。以前に40歳台後半以降はtwitterにとっつきにくいと感じている人が多いことを『ソーシャル時代を担うのは誰だ』で書いたが、当然ながら個人差はあって、若くてもtwitterにとっつきが悪いとか、またよく使っていてもtwitter向いていない人もいるように思える。またどうしてもtwitterを使わなければならないものでもない。まだ見えていないが、twitterには適切な使い方、言い換えるとtwitterリテラシーというのがそのうち出てくるのではないかと思う。
twitterで直接投稿する人よりも何らかのツールを介して投稿する人の方が多いように、素のtwitterを対象にして広告利用の開発を考えるのはまだ早計だろう。twitterのTLに広告メッセージを入れるだけが広告手法ではない。今のtwitterの楽しみ方はまだ限られていて、twitterのビューワにはまだいろいろな使い方が考えられるし、それらに対しての情報サービスというのもこれからである。そんな中で広告がfitするような局面も今後生まれてくるだろう。twitterのビューワの可能性については別の機会に書きたい。
今の素のtwitterの場合、twitterがつまらないのは本人のせいだという見方がある。それは誰をfollowするかは本人が決めるからだ。しかし面白いtweetを集めれるのがtwitterのうまい使い方であるともいえない。つまり同意しやすいtweetの人をfollowしていれば、次第に「鏡よ、鏡よ、鏡さん」状態になって「そうだよね」がこだまする自分の鏡と化してしまう危惧が日本にはある。twitterでも一時的に2chのスレッドと似たようなことになってしまうこともあるが、TLはどんどん流れていくので特定意見が固定化されないのが2chよりもよい面でもある。日本では特に「そうだよね」tweetの壁を作らないというのがtwitterリテラシーの第一であろう。
twitterの移ろい行くTLの中での面白い刺激はリツイートにある。ここには自分のfollow先を超えた要素が入ってくるので発見があるところである。おそらく国民性が違えばtwitterの使い方にも差があるのではないだろうか。例えばパーティの持ち方などは、積極的に自分をアピールする欧米と、知り合いが小さくまとまる日本の違いがあるように、リアルのコニュニケーションでできないことが、バーチャルなコミュニケーションで可能になることはないだろう。ソーシャルメディアは実態の社会を反映するだけではないかと思う。そうするとやはり40歳くらいまでの人たちは、今までの日本における人のつながりと違う形で活動できるようになりつつあるといえるのかもしれない。