投稿日: May 28, 2012 2:2:7 AM
多点数発行の限界を越えたい方へ
日本の出版界に漂う閉塞感には独特なものがあり、そもそも出版とはクリエイティブな仕事であったことを忘れさせるほどである。どんな産業にも黄金期や衰退期の上下があるのだろうが、出版は戦後復興期に異常に伸びたのと対照的に、今日本の閉塞感を代表するようなものとなってしまった。確かにいろんな分野で同時にイマジネーションが沸き起こる時代というのもあるが、全体が下降していても、その中で伸びる萌芽をみつけて 次の時代に引き継げるようにしなければならない。今萌芽といえるものはグローバル化とソーシャルメディアの中に見られるし、プロセスやテクノロジーという点ではIT・ネットとオープン化の中でビジネスの機構を再構築することが行われている。つまりこういった環境変化への対応をした出版のモデルがeBookとして出てきたので、日本以外ではeBookは発展を続けると考えているのである。
日本は出版は内需で独自の業態をなしてきたが、コンテンツを考えると翻訳出版の比率は大きく、その分野は直接的にeBook化の影響を受ける日が近いだろう。おそらく紙の翻訳本に先行してeBook翻訳本が出版されるようになり、eBookのほうが品揃えが豊富であるという状況になるだろう。eBookの増大に伴って版権ビジネスにも変化が起こるのかもしれない。ともかく内需独自業態というのはAmazonのせいではなく外から崩れることと、また国内でもeBookを契機に情報ビジネスでのコンテンツ蓄積が新たな出版を起こすこともあろうことを記事『持続発展する出版とは』に書いた。
要するに日本の出版を縛っているものから脱出できれば、新たな環境適応した出版は持続的に発展していくだろう。このように古いものに縛られているのは出版以外にも情報ビジネスなど知的財産権に関係した業界に共通のものがあったように思える。例えばこの30年ほどにどのようにそこから脱出して伸びる変化があったかを、教育(E)、音楽(M)、ソフトウェア(S)でみていくと、
E:教育(学年誌など→通信添削)
M:音楽(LPCDなどパッケージ→ダウンロード)
S:ソフトウェア(パッケージ→月額利用料金)
というシフトがみられる。
このようなシフトは新技術で簡単に起こったことではなく、むしろ利用者側のリテラシー向上など、市場が成長を果たしたときにビジネスが成り立つようなものである。例えば
E:個別教育 脱国民教育
M:ユビキタス音楽 ライフスタイル
S:利用範囲拡大 コンピュータリテラシー
通信添削のような個別教育の発達は、教育基本法6・3・3といった「国民みんなが…」というマス教育から市民が脱皮して起こっていることだし、音楽は居間のステレオセットで聴くのではなくウォークマンのような移動BGMで楽しむように視聴時間の変化があってのことである。コンピュータはビジネスのあらゆる局面で使われるようになったので勤労者は個人生活でも日常的に使う能力を身に着けた。
新しいこれらのビジネスは技術の登場時に企てても不可能なことだったので、最初のコンテンツが足りないとか利用者の能力が伴わない時代は、利用者は受身でタダのものを利用するようなモデルで始まった。
E:図書館 本はタダ
M:ラジオ 音楽はタダ
S:PCバンドル ソフトはタダ
今のWebは通信利用という点では、このタダの時代にあるといえるが、利用者が個人的にもっと充足する状態を求めるようになると、提供者側のビジネスも次第に有料でそれに応えるものになっていくだろう。
今の日本の出版を縛っているのは「受け身のマス」を市場としてみる考え方で、読者の成熟に対応し切れていない点ではないだろうか。成熟した顧客を相手にするならば、書店は高い要求に応えるように買い付けをしなければならないが、多くの書店にはbuyerがいないで、取次ぎの計画配本に頼っている。店の中の棚割りも金太郎飴である。出版社も多点数を発刊することに追われていて独自性がなかなか出せない。このような市場対応のままでコンテンツをデジタルで提供する電子書籍をしても有料ビジネスとして成功する可能性は低いのではないか。市場の質的な成長とともに提供側も成長するならば、関連分やとの連携や、またグローバルな発展というのも望めるだろう。