投稿日: Jul 12, 2013 12:31:7 AM
コンテンツと広告の関係がどうなるかと思う方へ
ビジネスをしていく上で広告はどうしても必要になってくるし、生活者も広告を契機に新しい発見をすることはあるので、売り買い双方にとってアクティビティの1割くらいは広告に投入せざるをえないとは思うが、広告部分だけを取り出してオイシイビジネスが成り立つかどうかは疑問である。広告を売買するというビジネスのメカニズムはなくならないだろうが、ネットのコミュニケーションが変わる中で、広告もどこか根本的に変わるところが出てくるはずである。それはまだ良く見えていない。
近年ネイティブ広告と呼ばれる編集記事と見分けがつかないような広告の可能性が言われ、実は雑誌を手がけていた時にも意匠広告はとり難くなったのに、記事広告を企画段階から行うなら広告出稿してもらえることが多かった。ではどんどん記事広告を増やしていけるかというと、編集体制の問題があって、従来編集者の手を煩わせなかった広告に手間がかかるようになるので、広告のコストが増大してしまうので、扱える量に制約が出てしまう。
要するに過去の意匠広告でそれなりの単価が取れていたビジネスがオイし過ぎたということだろう。
もう一つは編集部門に広告が入り込んでしまうことで、編集側の記事や冊子コンセプトなどメディア政策が影響を受けることである。そのために広告担当が勝手に記事広告なりネイティブ広告を取ってくることはできず、やはり決定は編集長マターになることである。これは悪いことではなく、広告主やそのターゲットである消費者というステークホルダの変化を編集側がよく知る機会にもなった。要するに編集側も相手さえ選べば、記事広告なりネイティブ広告を扱うことには意味がある。
しかし、記事広告の取り上げ方、表現の仕方には、どのようなガイドも基準も無いので、編集は面倒くさいし、拡大もビミョーである。広告主のライバルが同時に違う主張をすることは、意匠広告で並んでいる場合は何の問題がないのに、記事のフリをすると2つの記事に矛盾があったり食い違ったスタンスで読者に違和感を持たれる可能性がある。最初からライバル同士を並べる広告企画なら、お互いの良いところだけを書けばよいが、別々に進行している記事広告が出来上がって並んでしまうと、不公平感が出がちである。
この取り扱いのビミョーさを考えると、ネイティブ広告の進展には疑問がある。むしろ180度逆転して、商品にコンテンツをつける販促方法の方がよいのではないかと思う。これはECのシステムに埋め込むもので、食材にレシピが付くようなものである。楽天もYahooも家賃収入を得るような方法でECをしているだけで、ECにイノベーションを起こそうとはしていないが、まだチャレンジすべきことは多くあるように思う。