投稿日: Nov 23, 2013 1:24:14 AM
ネットメディアに必要なこと
ネットのメディアではニュースに対する反応が多く取り上げられるが、自ら取材したものがそれほど増えているわけではない。生活者の日常の出来事をblogに綴る中ではナマの情報が載るが、blogは孤立したメディアなので、それが波及して議論を呼ぶとは限らない。新聞・雑誌・ラジオ・テレビというメディア産業は、本来は単にニュースを右から左に流すことをしているのではなく、取材から、情報の蓄積、整理、考察などの情報加工をする専門スタッフが居ることで、ニュースの意味することを解説できる組織でもあったはずだ。
もしネットメディアが既存のマスコミを超えることがあるのなら、前述の情報加工の専門スタッフを抱えて、解説内容に独自の価値をもたらすようにならなければならない。今のところネットメディアとは言っても、その質は担当者個人の資質に依存していて、編集長が変わってしまうとガラっとつまらなくなったりする。これでは強力なメディアにはなれないだろう。
つまりジャーナリズムの基本として、アナログとかデジタルとかの問題ではなく、個人の資質とは別にそれなりの組織が必要になると思う。以前シカゴでPlayboyを訪問した際に、編集長は前職が弁護士で、記事は外部のライターが書くが、それをチェックして書き直すのが編集部の仕事だった。チェックするのは、何処まで書くかという表現のせめぎあいがあるからで、それには法務というのが重要なので弁護士出の編集長が居るのだった。アメリカのジャーナリズムの場合はセンセーショナリズムが1つの特徴なので、そういうことになるのだろうが、そういった組織の中でニュースや記事が練られていくと同時に、ニュース・記事に対する評価力というのがその組織の力になっている。
つまりニュース・記事というのは類型化される。人間と人間の集団がやらかすことは、大昔からだいたい決まっていて、ニュース・記事というのはそれが時代の衣装をまとって現われているだけだからだ。このニュース・記事の評価の底にある哲学のようなものが組織として体現していなければメディア企業としては長続きしないしブランド化もしない。しかし日本人がメディアとして最初に思い描くところのマスメディアにはそのような哲学が感じ難いということなのだろう。そこが日本のニュースに深みを感じない点であろうと思う。
例えば、北朝鮮といえば独裁者の国家というように思われているが、独裁者も誰かに担ぎ上げられないと君臨はできないわけで、現に北朝鮮は独裁者が3代にわたって代替わりしているというのは、独裁者を必要とする階層がしっかり出来ているからである。これはエジプトの軍側のムバラク大統領が失脚して選挙で別の人が選ばれても、また軍がひっくり返してしまうのと同じで、国の表向きの制度とは別の下部構造があることである。日本であれば地方に行けば自民党支持基盤が過半数であったりするのも下部構造の問題であって、選挙の公認から選挙運動というのが政治を決めているのではないなど、着目するところを変えないことにはニュース・記事の質は変わらないだろう。
今のところ日本のネットの情報はマスコミがエコーしているわけだが、さて哲学を持って情報を評価・分別して届けることができるのはどういったところだろうか?