投稿日: Jul 17, 2011 11:35:3 PM
雑誌の復権はあるのかと思う方へ
ソーシャルメディアの応用というのがあらゆる方面で検討されて、会社や組織におけるコミュニケーションもソーシャルグラフを使ったような、オープンでもクローズでもないリアルの世界に似た関係が、ネットでも築けるようになるのだろう。そういった動きが今後10年くらい続いていくだろう。そしていろいろな局面にすべてソーシャルメディアが入り込んだ折には、いちいち「ソーシャルメディア云々」とは言わなくなるはずだ。それはどんな時代だろうか?
すでにソーシャルメディアの特色や、それによって今のコミュニケーションのどのようなところが補強されていくか、というのはほぼ見えてきている。情報伝達という面では、スポークスマンの公式発表を聞くだけの時代から、それに対する論評も同時に流れるようになることで、組織が一方的に情報を操作することは難しくなっていく。情報の見通しがよくなること、言い換えると情報をさえぎるものが減ることは、社会をよい方向にするように思えるが、国会議員に誰でも立候補できるようになると優れた政治家が輩出されるわけでもないように、結局国民の意識以上には社会はならないと思える。
ソーシャルメディアは情報の流通革命ではあっても、情報の質を高める機能は持っていない。高い質の情報が広まるように努力する人は大勢出るのだろうが、それが選択されて社会的に意識が変わることは保障されていない。むしろ無関係である。北アフリカや中東で長期政権を追い込んでいるからといって、ソーシャルメディアに流れる限られた情報で社会の改革ができるわけではない。つまりソーシャルメディアの発展とともに、そこをきっかけにアクセスする先のコンテンツの充実も必要になる。
よくマスコミ批判がされるが、マスコミが社内に抱えている情報ソースを、マスコミ以外のところがどのように管理して世の中に提供することができるのかが課題である。そうするとやはり今は翳りばかりが目立つ雑誌のような専門分化した情報ソースが活躍してもらわなければ困る。当面の流れとしてはソーシャルメディアにいろいろな情報源が紐づいていって、あたかもソーシャルメディア自身とかそのアプリとして雑誌メディアのようなものが出てくるのだろうが、雑誌メディアはソーシャルメディアにPVを稼がせるためのネタに甘んじるのではなく、ソーシャルメディアとは関係をもちつつも、ビジネスとしては独立を画策する必要があるだろう。
かつて(13年位前に)ニュースのポータルは新聞社サイトか、純粋ポータルサイトになるのか、というディスカッションがアメリカであって、その後新聞社がポータルサイトにニュースをフィードする時代が日本にもあったが、それは単に立ち読みの世界を作っただけで広告以外のビジネスにはならなかった。そして新聞の発展系としてはHuffPostのような新興サイトが担うようになった。雑誌もソーシャルメディアに埋没するのではなく、新たなメディア価値を作り出す時代を迎えることになると思う。しかし今の雑誌社にそれはできないので、新聞のHuffPostのように新世代の活躍を待たなければならない。それができるタイミングまでは忍耐の時代になるだろう。
関連セミナー eBookに相応しい、アイデア、企画、コンテンツ、ビジネス 2011年7月22日(金)