投稿日: Apr 30, 2015 12:17:35 AM
1968年に暗殺されたマルチンルーサーキング牧師の記念館が、師の住んでいたアメリカ・ジョージア州アトランタにあって、そこを訪れたことがあった。市中心部からバスで郊外に向かうのだが、そこは黒人居住区であった。日本の住宅街と変わらないか、もっと緑の深い感じのよいところだった。いろいろ調べると1960年代の日本の暮らしは当時のアメリカ黒人の暮らしレベルとだいたい同じようなものであった。自動車や電話の普及では黒人家庭の方が進んでいたかもしれない。その時点から今まで、日本人もアメリカ黒人も暮らしぶりはそれほど変わっていないような気がする。
日本は敗戦後の焼け野原から10数年たって復興し、1960年代の暮らしぶりになったわけだが、中国も解放政策から10数年たって我々と大差ない暮らしぶりになって、今後はそれが内陸部に徐々に波及するにしても、それほど大きくは変化しないであろう。経済発展を遂げた東南アジアも似たようなことがいえる。
これからはアジア向けの貿易が大事であるとはいわれるが、東南アジアにはまだ人口増が期待できるものの、中国は人口減の時代に入るし、暮らし向きも皆落ち着く方向にあるので、あまり物量的な伸びは期待しない方がよいだろう。伸びが期待できるのはアフリカであって、そこを狙っているのはインドや中国で、日本は蚊帳の外である。
だいたい大量生産品は日本が手掛けることはあまりなさそうだし、それよりはまず富裕層向けの商品や、アジアの人がライフスタイルの変化を続けることで流行がいろいろ興る点を追いかけてビジネスすることになるだろう。
富裕層向けというとやはり日本向け観光というのが入り口になる。観光を通じて日本のいろいろなものに関心をもってもらえるからだ。また富裕層とのつながりは現地のビジネスのパートナーとなる道でもあって、単なる観光ではなく、ビジネスツアーを兼ねたものに変わっていくだろう。日本人も海外の展示会に行きながら観光もしていたわけだから、ビジネスマッチングのツアーを発展させるのがお互いに得である。
漠然と日本国内の商品のよさを東南アジアにも知ってもらおうと思っても、アメリカから東南アジアまですでに似た暮らしぶりになっているので、日本製も韓国製も中国製も区別できない時代になっている。だから東南アジアでのビジネスをする際に日本に求められる点はトレンドを作り出す力ではないのか。日本の最新のものとは限らず、過去に手掛けたものも含めて、日本は多くの商品の駒をもっているので、それらが東南アジアにどうマッチングするのかを研究する必要がある。
日本からすると、一口に東南アジアのニーズということではなく、東南アジアのそれぞれの国内での流行に敏感にならなければならない。それぞれの国情に応じて何が先に流行るかは異なると思われる。韓国や中国は近年の売れ筋大量生産品しか作ったことのないので、日本は多様なネタをもっていて流行を先導するという棲み分けができるのではないか。
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