投稿日: Jun 02, 2012 12:19:54 AM
ローカルコンテンツを育てたい方へ
沖縄の島歌を大連のカラオケで中国人が歌っているのを聞いたことがある。伝統音楽とか民族音楽もしばしば商業音楽に混じって登場することがあるが、それは何らかのプロモーションの結果ではなく、もっと複雑で大きな背景があると考えられる。つまりこの種の音楽はプロモーションではどうなるものでもなく、文化的なうねりとして見ておくことが必要だと思う。黒人のブルースが衰退したのに白人がブルースをするようになったことを記事『ローカルコンテンツはローカルに任せろ』で書いたが、そのきっかけのひとつとなったLightnin' Hopkinsのレコーディングで追ってみると次のようになる。Lightnin' Hopkinsは1912年生まれ1982年没で、レコーディングは1946年に始まり、死ぬ直前まである。そのうち1969年までをグラフにしてみた。
小丸は78回転や45回転で発売された録音、四角はLP用に録音されたものである。1946年から1950年代の初頭まではLinghtnin'の地元のテキサスのレーベルに録音され、50年代中ごろにかけて全米の黒人向けにマーケティングするレーベルにも録音されるようになったが、全国的なヒットにはならずに録音は途絶えた。
ところが1960年前から英米でフォークブームが起こって、「黒人のブルースがあったんだって?」という非黒人向けにLPが録音されるようになった。これはボブディラン、ジョーンバエズなどとともに聞かれるようになったが、この波は1960年代中ごろに廃れた。
時代はロックとかR&B・ソウルの時代になり、それらのルーツとして黒人ブルースが見直されて再び録音が始まり、その後世界ツアーもするようになって各地に録音を残した。
結局黒人を対象にしたcountry bluesはどんどん衰退して1960年頃にはレコードとしては稀になってしまったが、無くなることもなく、Lightnin'自身も地元での音楽活動自身はそれまでどうり続いていた。それによって1960年代でも45回転盤はわずかに録音され、ローカルラジオにはかかるとかジュークボックスなどに収蔵されていた。
音楽的にみると、1のテキサス時代は伝統的な暗い音楽であり、ダンス曲もあるものの陰鬱なものが受ける伝統があった。2の時代はロックンロールの第1期興隆期でLightnin'もR&B的な力強い曲が全国的に受けた。しかしギター中心でやっている音楽はブラス・ホーンを多用するR&Bの時代にあっては録音の機会がなくなっていった。白人はギター中心のカントリーがレコードでも続いたが黒人対象ではカントリーはほぼ無くなった時代になった。
3のフォークブームでは多くの黒人が白人聴衆の前に引っ張り出されることになったのだが、それら雑多な音楽様式の中で現代の主流大衆音楽のルーツとしてブルースが評価されたのが1960年代中頃から1980年頃までであり、ブルースはひとつのジャンルとして世界に知られて販売されるようになった。しかしもう黒人向けには録音されなくなっていたのでJazzのようには大きくなれなかったのだと思う。
以上からいえることは、1-2-3-4という数年単位のトレンドを経ながら、トラディションとして定着していったことで、これはアパレルでミニスカートからパンタロンなどいろんな流行を経てファッションの多様化があったのと似ている。コンテンツの文化的価値を考えるなら、こういったトレンドからトラディションへの長期的な視点に立つことが必要だろう。