投稿日: Nov 02, 2011 1:0:19 AM
Jobsモデルを永遠に残したい方へ
Steve Jobs は生涯にわたって自分のやりたいことを集中してやりとおしたし、全部ではないだろうが立派にやり遂げたと賞賛される。Apple製品のfanは多くいるので、今は自分にとっての思い出の製品を語る人も多い。それらを総合するとデザイナとしてのSteve Jobsが定まった評価のようである。コンピュータに関わる前の専攻でもデザインを志向していたことがよく書かれているが、最初の商業的成功を果たしたAppleIIには、外見の工業デザイン的な面のユニークさだけではなく、購入して最初に動かすデモが、画面に色がついて、音が出て、アニメのような動きがある、というそれ以前にはなかった要素を組み込んでいて、パソコンに対する夢をかきたててくれるところに特徴があった。当時のパソコンといえば、スイッチを入れても左上に何か記号らしきものが点滅しているだけだった時代だったので、Appleは大きな驚きだった。
8bitパソコンの競争の中では、他社はデザインのことを考えたことは無いような製品と、NECPC8001などのように電算機端末然としていたものが多い中で、Apple IIと並んでラジオシャックのTandyは家電風にうまくデザインされていた。それに対してAppleが出したIIcは電算機のキーボードを脱皮してコンピュータ臭をなくしたので、特にウケがよかったように思う。今見ても立派なヨーロッパ風のデザインで、工業デザインの歴史の中に残してもいいように思う。それは以降のLisa・Macの出発点はここにあると思うからである。つまり8bitだ16bitだとか、クロック周波数がいくつというのはJobsの追いかけるテーマではなく、朝起きてから寝るまでの身近にどんなものを置いたら素晴らしいのかという視点が一貫してあったと思う。
一旦追い出されたAppleにJobsがCEOとして復帰してから、それまでいろいろ発散して散らかっていた製品群を数系列に絞り込んだ。他社製品との競合ばかりに気を配っていると、スペック表の比較で有利になるように小手先の改善を繰り返して似たモデルがいっぱいできてしまう。それをさせないのがJobsの役割であっただろう。復帰Jobsは次の焦点を絞るに際してコンピュータの性能競争は捨てて、人の生活との接点にもっと目を向けるようになり、iPod以降のindividualな(個人のお供になる)製品開発をして大成功した。この手本はSonyなど日本の家電業界だったのだろうが、日本が情報家電と称してブランド依存とか性能競争をするのを尻目に世界を席巻してしまった。
先日読んだ「妹からスティーブ・ジョブスへの弔辞」には、Jobsがずっと美しいものを作ろうとしていたことが書いてあって、 工業デザイナ以上に芸術的な志向を感じたのだが、そうするとコンピュータが果たして彼に相応しかったのかという気もしてくる。
妹の思いついた言葉として 「ファッションとは、美しく見えるがのちに醜くなるもの。芸術とは、最初醜く見えるがのちに美しくなるもの」があり、もしJobsが後世に残って評価されることを目指していたならすぐに陳腐化してしまうIT製品開発には多くの葛藤があったと思われる。後の人がJobsを称える意味において、Apple IIcの外観モデルをそのままにして、中身は最新技術のパソコンを出し続けるという方法もあるが、Appleはそうしないのだろうか?