投稿日: Sep 19, 2014 1:29:20 AM
以前に単行本を企画制作していた時に、著者からNatureに載った写真を使ってほしいという依頼があって問い合わせたら、使用料が何万円か10万円かかかるといわれた。それで似た図版をおこして代替しようかと考えたのだが、元の論文のチームに日本人研究者もいることがわかって、その人に使わせてもらえる写真があるかどうかを聞いた。そしたらNatureのとほぼ同様の写真が無料で提供してもらえた。
ムシのいい話のようであるが、Natureという組織がコンテンツのハンドリングをする際には、一律のルールで行わなければならないが、研究者個人の場合は出版物の主旨を説明すれば賛同して協力してくれるということだった。つまり人のつながりができれば全てが金ではないということだ。
一方で、1か月ほどかかってある分野の年表を作ったことがある。20年間のほどの技術史を月間単位で克明に追いかけた。それだけ手間をかけても出来上がったものはB4一枚に過ぎない。後にごく一部でその年表が引用されているのを見たことがある。また似た年表で、おそらく一部分を取り出して加筆修正をしたと思われるものも見かけた。同じ分野で働いていてどこかで顔を合わせるかもしれない人同士なので、あまり露骨な盗用とかは起こらないようになっている。これらはいずれも一般の人の目には触れないものなので、何千部も出ないであろう出版物なので、こういう参考・参照や引用はお互いに目をつぶっている。
だがもしこれが一般的にウケて話題になるモノで、著者や編集者が全く面識がないならば、参考にするにしても出典のことわりを入れるとか、使用許諾とかをちゃんとしないと、いつ何処からモメごとが発生するかわからない。
しかし、こういった写真や図表単体の使用料金というのはなかなか決め難い。ある意味では「講演料」のようなもので、テレビに出ている人なら幾ら、著名・権威などのハクがあれば幾ら、プロなら幾ら、などいろんな基準があると思うが、どちらかというと直感的に納得しやすいからできたものであって、あまり原価計算に基づくような設定は困難なように思える。これではクラウドソーシングには適していない。
せっかく有意義なコンテンツをもっている組織や個人がネットの可視化によって浮上してきても、今のクラウドソーシングは最安値に引っ張られるようになっていては高品質のコンテンツホルダーが提供するということにはならないかもしれない。むしろ高品質なコンテンツはそれを活かしてくれるところに寄贈するとかの方がふさわしいかもしれない。美術工芸の個人収蔵品が本人の死後に博物館・美術館に譲渡されるようなものである。場合によっては譲渡ではなく預けるだけの場合もある。それは個人(あるいは遺族)では管理しきれないからである。
戦後の日本の新しい文化を支えていた方も後期高齢者になり、その方が自宅に残した写真や資料がゴミとして処分されていくのを見るのは忍びないものがあるので、譲渡や委託ができる先を見つけられるマッチングサイトがあってもいいかもしれない。
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