投稿日: Dec 03, 2014 12:18:43 AM
昔ばなしで、見世物小屋のことを書いたものが時々あったが、私自身は行ったことがないし、秘宝館も行っていないので良く知らないのだが、海外では蝋人形館とか、今はないと思うがクレージーワールドオブ云々というのは見たことがあり、なんとなくワクワク感はわかる。奇怪な話を書いた文学たくさんあるし、平安時代前期の仏教説話集である日本霊異記にも奇妙な話がある。人は非日常な出来事に惹かれる何かがあるのだろう。
これら文字で記録できるものは文献になっているが、それらは人が自分の想像力で補って受け止めるものなので、そのコンテンツのインパクトには相当の個人差があるだろう。それを蝋人形のように視覚化したシーンにすると、もっと一般にも分かりやすいものとなる。それが時代が下るにしたがってさらにアニメ映画になり、実写でも特撮でSFのようなものになっていったのであろうし、CGでさらにファンタジー表現の領域は広がった。メディアの革新とともに、人はファンタジー漬けになっていくのであろうか?
そして今、画像・映像投稿サイトでもこういうファンタジーものが増えてきたようにみえる。それは個人でもビデオ撮影やビデオ編集が容易にできるようになったからだ。YouTubeの最初のコンセプトはYouが作るテレビのようなものだったので、単なる放送のパクリをアップするのではなく、自分の作品をアップするのは良いことかもしれないが、作品の解釈が独り歩きしてしまうものとか、実写に手を加えて捏造画像にしてしまったものなども多くある。作った本人はフィクションの作品であると主張しても、見た方が信じてしまうことをどう考えるのかということである。
テレビの番組では街頭のイリュージョンなどで、ビデオを編集して作った番組だなとわかるのだが、不思議なことが起きたと信じ込む人も居る。これらは専門家が手の込んだ映像編集をしていて、ネタバレはしないが、こういったコンテンツに「イリュージョン」という名前がついているように、真に受けるものではない約束が前提にある。
今はいろんな方法で動画の合成が試みられていて、現実にはあり得ないシーンを作り出した作品がこのところ増えている。特にショートムービーはSNS向きなのだろう、日常的によく見かけるようになっている。それと並行して、現実と勘違いして引用してBlogを書くような人も増えている。作品を作った側からすると、マンマとひっかかったことを喜ぶかもしれないが、そういった誤解が次にどのように作用するかわからない。
元々写真や映像が用いられる理由に、人は見えるものを信じ込むという特性があったと思うが、むしろ今は、見えるものを疑ってかかる、くらいのリテラシーが必要なのかもしれない。
Top → Articles デジタルメディアビジネスの記事 過去記事→Archive