投稿日: Jul 20, 2013 12:30:8 AM
デトロイト破綻で思い出したこと
デトロイトというと自動車産業の都市という第一印象なのだが、私にとっては音楽の街の印象が強い。デトロイトは南部から多くの黒人労働者を集めたので、ソウルの中心地となったからである。
写真はモータウン発祥の地となった場所で、このように1950年代の末から自宅やガレージで録音してレコードを作ることが盛んに行われた街なのである。戦前から音楽産業の盛んな都市といえばニューヨークやシカゴであって、主だった音楽産業がそこで育ち、戦後もメジャーが拠点としてレコーディングをしていた。
すなわち、レコードでデビューしたいミュージシャンが目指すのはニューヨークやシカゴだった。戦後は映画にもなったチェスレコードや、またアトランティックなど新興の黒人音楽レーベルもシカゴやニューヨークで育ち、それまでメジャーのおさえてていた音楽市場に食い込んでいった。
その段階ではデトロイトには対抗できるようなレコード会社はなかった。1950年代ではだいたいデトロイトのレコードは音質が悪く盤質も悪く、マーケティング的にもデトロイト周辺にしか流通しなかった。私がそれらのレコードも集めようとした1970年代始め頃は、まだ1950年代からの地元レコード業者が営業をしていて、大抵の場合は商店街のお店くらいの規模の奥にレコーディング室があって、通りに面した部屋ではレコードを売っているというようなものであった。
また、ミュージシャンたちは自宅に機材を持ち込んでレコーディングをして、それを地元レコード業者に持ち込んで発売してもらうということもあった。いずこも立派なオフィスやスタジオがないままで、手作りでデトロイトのソウルのレコードは作られ続けていたので、なかなか全容が捉えずらかったのである。
デトロイトのヘンなところは、ミュージシャンのユニオンが強くて、ユニオンに入っていないとお店でライブができない状態であったという。デトロイトと地理的には似ているシカゴの場合はさまざまなお店でライブが自由に行われ、マックスウェル通りの路上音楽も盛んという、デトロイトとは対照的な状態で、そこで人気となった人がレコード会社に目をつけられて、メジャーや新興インディーからレコードデビューした。これらのレコードは全国的に配給されたが、デトロイトの地元レコード業者のものはそうはならなかった。だからデトロイトのミュージシャンもシカゴのレコード会社に作品を持ち込むことで全国配給をしてもらうことがあった。
ところが逆にデトロイトでは自由にライブできないが故に、ミュージシャンがレコードを自主制作し、自主流通することが盛んになり、ひいては地元の個人営業レコード産業が多種多様なソウルを提供することが、デトロイトで起こった。そんなビジネス的にみればカオスな状況の中で一皮むけたコンセプトで全米に、また世界に撃って出たのがモータウンであったということになる。
1960年代始めにはデトロイトのソウルミュージシャンをセットでパッケージにしてソウルレビューというショウ化してニューヨークとかの都市部で興行するようなこともあった。
そして今日ではソウルの代名詞のような町にデトロイトはなったのである。
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