投稿日: Aug 14, 2011 10:35:9 PM
広告への信頼は薄らいだと思う方へ
Webの歴史が20年、その前にパソコン通信、及びビデオテックスなどの時代があった。一般人がデジタルネットワークを使い出して30年近くが経っているわけで、ネット利用は新しい現象とはもう呼べない。少なくともインターネット時代に物心ついた人がすでに現役で働いているわけで、高齢者にはデジタルデバイドがあるとしても、画面に向かってインタラクティブに情報を扱うことはどの分野でも起こった。夏の旅行でも行く先や経路に関して、親に代わって子供がネットで調べている家は多いだろう。 そういった方法で今まで以上に効率を上げる人が、どんな分野でも成功したり出世するようになった。
パソコン通信の頃から、BBS/掲示板があり、それがBlogになり、メンバー制のSNS、オープンなtwitter、Facebookと、いろいろ変化してきたように見えるが、だれでもいつでもテキストで情報発信するということは同じで、「niftyフォーラム」から「大手小町」まで、だいたい人々によく読まれるものはどういったものかもつかめると思う。ということは、今後情報発信のメカニズムや運用体として新しい名前にものが出現するのだろうが、コンテンツのレベルは似たようなものになるとも考えられる。もしコンテンツですばらしいものが現れるなら、それはテクノロジーのおかげではなく、そのコミュニティを形成させた運用体の力によると考えられる。
今、企業がソーシャルメディアでマーケティングをしようと考えているのかも知れないが、今まで情報発信がうまくできなかった会社が、誰でも参入できるソーシャルメディアを手にしたところで、他社よりもすばらしいものができる可能性は少ないだろう。つまり今ビジネスをしている人の情報発信やコミュニケーションのリテラシーはすでに確立している部分が多いからである。ただ若い人の可能性は別である。いつも新しいメディアを思いがけない使い方をして成功させるのは、過去のビジネスの流儀を前提としないから可能になるのであって、facebookのフレンド数でも過去にはあまり知られていなかった会社が、有名な会社よりも多くのファンをもつことができるようになっている。なぜだろうか?
過去の企業が行う情報発信やコミュニケーションの流儀というのは、広告代理店などを経由して専門家に金を払って代行してもらうものが多い。電車内で全然面白くないノートPCの広告を見たので、なぜ面白くないのかを車中で考えていたのだが、かっこいい写真やコピーを並べて「凄いぞ」といっているだけで、設計者の思いも感じなければ、自分がこれを持って行動するといいだろうなという気もしない。広告代理店はこういうことを営々とやっているのだろう。少ない情報で「凄いぞ」をアピールするなら、本当に製品がそうでなければならないが、実際のノートPCを手にすればどんぐりの背比べで、広告のバケの皮が剥がれることを広告代理店はどう思っているのだろうか。
いろんな情報発信やコミュニケーションが可能になった今日の環境を考えれば、高額で希少の情報チャンネルを使って少ない情報で「凄いぞ」とアピールするのではなく、モバイルによって拡大するあらゆる局面で、いろいろな対象ごとの特性にあわせて、いろいろな説明をするという、立体的なコミュニケーション戦略が必要で、その中のひとつにソーシャルメディアもあるのだという認識が必要だろう。
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