投稿日: May 06, 2015 1:20:10 AM
ローリングストーンズなど1960年代初期のロックバンドからはアメリカの黒人ブルースの影響を受けているといわれるが、彼らが執着したブルースというのはシカゴのChessやVJやCobraなどの限られたlabelの、しかも限られたミュージシャンだけなので、そこからブルース入門をすると長い回り道をしてブルース全体を理解することになるし、多くの人はそんなことはしないで、ブルースから興味を失ってしまったのだろう。音楽性から考えても、ブリティッシュロックに投影されたブルースは狭すぎる。むしろアメリカの白人のブルースの方が土台の広い黒人ブルースを吸収しているといえる。
記事『正しいシカゴブルース』では、白人が作り上げたブルース観のことを書いたが、シカゴブルースの祖先はミシシッピーのデルタブルースということになって、有名なブルースマンを数多く排したプランテーションが今は史跡化されている。こういうところとかブルースマンの墓参りも行ってみたいが、それほどの重要性は感じない。
1920年代にブルースのレコードが売られだした時には、すでにアメリカのすべての黒人居住区でブルースはあったと思われるが、黒人はブルース以外の音楽も多くやっていた。以前書いたが、戦前はブルース以外はあまり録音されず、戦後のインディーズの時代、あるいはR&Bの時代になって、古いブルース以外の音楽も録音されるようになったので、ブルースが黒人音楽の原点ということではないと思う。だからブルースの史跡は聖地ではなく、アメリカ黒人音楽史跡の One Of Them だと思う。
今の日本人がCDで聴いているブルースマンは限られた人数でしかなく、アメリカで1970年にブルース専門誌「 Living Blues」が発刊された理由も、アメリカの各地で白人に知られることなくブルースをやっているミュージシャンを紹介するためであった。とはいってもこの雑誌は全世界で5000部くらいしか出ていなかったので、歌い継がれているブルースに興味を持っていた人はそれほどいなかったことになる。
私もシカゴのChessやVJやCobraなどの音源は宝物のように扱って大好きではあるが、それらは音楽的には袋小路の行き詰まり状態で衰退してしまい、ミュージシャンとしてはR&B、ソウルなどに転進せざるを得なかったし、もう再現できないその時限りの音楽であった。
大衆音楽として考えると、あるアーチストがある時だけ輝いた曲調というのは影響力は実はあまりなく、無名な人々によって歌い継がれている音楽の方がメインストリームで、その音楽が受け継がれている場所が聖地なのだろう。記事『もうひとつのアメリカ音楽』ではひなびたJukeJointのことを採りあげているが、そういうところで時代とともに変化しながら歌い継がれているブルースという捉えどころのないものが黒人ブルースの原点であると思う。
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