投稿日: Oct 16, 2013 1:1:49 AM
実はチャンスはあったのに
難しい経済理論を学ばなくても我々の日常生活の変化を振りかえると、駅の周りのお店が様変わりしたように、社会の変化とビジネスの変化はわかる。私の今の住まいは18年ほど前からで、駅から数分の住宅街にあって、日常の買い物はその行き来の間で行えるようになって居るのだが、小売業は18年間の間に何度かの大波にみまわれた。18年前は商店とミニスーパーの戦いであった。そこにコンビニが割り込んできた。ミニスーパーは特徴を鮮明に出したところが生き残った。ドラッグストアのチェーン店も伸びてきて、これらに対して商店は何の手も打てず減少の一途を辿った。
次に生鮮の安売りチェーンが伸びて、質もよく、ミニスーパーに打撃を与えた。これは見てくれは駅前の商店と同じようなものだが、買い付けに特徴があった。昔からの商店は何の手も打てず減少した。
ところがさらにコンビニ形態で24時間営業の100円ローソンやピアゴが生鮮を含む食材に特化して割り込んできた。ミニスーパーや安売りチェーンが閉まっている時でも営業していて便利であった。当然昔からの商店はさらに減った。
またこの1年で薬も化粧品も扱うドンキホーテというのができて、そこは食材も扱い、24時間営業で何でもワンストップで買えるようになった。ここが今人が集まっているところとなっている。昼は昼で主婦が集い、夜は若者が暇つぶしも兼ねて買い物をするのである。
こうしてみると小売業は仁義無き戦いだなと思う。その中で商店街は歯抜けになり、ところどころコインパーキング化した。マンションになってしまった区画もある。商店街の衰退はどこでも語られることであろうが、果たしてこのように寂れる道しかなかったのだろうか? 商店街は昔からだいたい一斉に休みを取るとか営業時間について申し合わせをしていた。これは住民からすると困ることであり、品揃えに制限があって安くはなくてもコンビニを使わざるを得ない。
しかし自分たちも休む権利はあるという考えかどうかは定かではないが、台頭するコンビニを応援しているかのように営業姿勢を変えなかった。海外ではお店の群が半分づつ休むというのがある。例えば半分が火曜日に休み、残り半分が水曜日に休む、などである。営業時間も店の間でシフト制という例がある。薬を売るところは、各地域内の薬局が分担して、必ずどこかは24時間開いていることを条例にしていた町もあった。
つまり既存の商店であっても、皆が集まって集団としてコンビニの利便さに対抗することを工夫する余地はあるのである。しかし駅の商店街が東西南北それぞれ別系統の商店会に分かれているような状況では、自分たちの持ち駒が限られてしまって、コンビニに対抗する柔軟な編成ができない。だから商店街が改革するには従来の商店会の枠をこえて、従来の習慣を壊して、新たな連合をする必要がある。こういった自分たちの昔からの枠組みを変えられないならば、新たな力は出てこない。
自己革新のないところには競争力は生まれないのである。