投稿日: Feb 09, 2015 11:50:39 PM
最近相次ぐ閉鎖が話題になったバイラルメディアのような勝手にコピペしてPVを稼ぐメディアでも動画が多く使われている。星の数ほどあるYouTubeのショート動画の中から面白いものを探し出して、大げさな釣りタイトルをつけただけのものであるが、SNSなどで急速に拡散した。人々が興味を惹かれるのはYouTubeなどの動画コンテンツであるが、そこに導く過程でバイラルメディアのページを踏ませることで広告ビジネスをしている。ネタを探して短い文章をつける「仕入」にかかるコストは何百円かであって、それなりに儲かったようだ。静止画でも似たことが行われていたが、こういったネタ系メディアでは静止画と動画の地位は逆転してしまったように思える。
動画は何十秒とか何分のショート動画でも強く訴える表現力がある(といわれる)。しかしテレビ放送もストップウォッチでシーンチェンジを測りながら視聴したとすると、やはりショート動画の組み合わせでしかないのではないかと思う。ビデオ編集を経験したことのある人なら、ゼロコンマ何秒単位で映像を動かしながら切ったり貼ったりすることを何秒とか何十秒ごとにしていたことが思い浮かぶ。
つまり魅力あるショート動画というのは、最初から短いのではなく、編集してサワリを取り出したものであるわけで、サワリがない動画ではショート動画にしようもないのだろう。
これは音楽にも似ていて、1曲3分にまとめるとなると、それなりに構成を考えて、イントロから、繰り返し、サビ、間奏、エンディングを作るのと同じように、動画も何分かに起承転結をつけることになるのだろう。その起承転結の要素を元の長い動画から抜き出して編集しなければショート動画はできない。
動画が大衆的話題になってきた背景には、一般人の動画作成能力の向上があると思う。つまりスマホの普及と、使いこなしができるようになってきたことである。
曲の紹介ではサビの部分だけ10秒~30秒だけチラ見させるように、動画も決定的瞬間がある。決定的瞬間の裏には何十分もの動画素材とか待ち時間や準備時間があるのだろう。例えペットが可愛い動作をした動画が何気ないもののように思えても、類似の何十の動画の中の1本が選ばれてYouTubeに上がったということだろう。
こういう獲物を狙うような撮り方とか、時間の経過とともに編集していく感覚は、静止的な印刷媒体の経験では出てこないから、いわゆる出版系のところが動画サイトを運用するようにはなり難いのではないか。
紙媒体と動画では構築のアプローチ方法が異なる。寺山修二の「書を捨てて町に出よう」を思い出してしまった。ネタは机の上ではなくリアルワールドにあるのである。
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