投稿日: Oct 19, 2013 1:6:51 AM
ネットにないものをどうする
私は1960年代中ごろまでのアメリカの黒人大衆音楽を聴いている関係で、当時の写真とか資料もなるべく目を通すようにしていて気がついたことがある。1960年代半ばというと、公民権運動の最中で、記事『コンテンツはビジネス側からは捉えきれない』では自分たちの境遇を嘆くブルースは黒人の社会の中では隅に追いやられるようになっていったことを書いた。この頃の黒人のスラム街の生活が写真で残っているものがあって、それを見ると当時の日本と大して変わらないものであった。日本でも被差別部落とか住居を持たない生活(橋の下に住んで居るなど)はあって、もっとひどいスラムは存在した。当時の日本人はアメリカなら黒人みたいな境遇だったんだ、というのはいろいろな面で納得させられるものがあった。ただ日本は人種差別による文化的な障壁が作られていなかった。
1960年代半ばでは、特に南部では白人と黒人が混じらないようにいろいろなルールがあり、居住地区が異なるとか、店の看板にも”colored only” ”white only” がはっきり書かれていた。これは警察に届けて営業する決まりであったようだ。また人種差別行動というのがあって、KKKなどから黒人がリンチにあったり、黒人の権利拡大に対して白人の反対デモが行われたり、白人と接点の多い黒人に常時嫌がらせがあった。
そういった文化的な隔たりを作っていたがために、白人がラジオを通しては黒人音楽を聴くことはあっても、黒人のライブを白人が聴く機会はなかった。Jazzの場合は白人の店に黒人ミュージシャンがやってくるので白人も聴けた。つまり白人社会に入ってくる黒人(嫌がらせを受けながら)は居たが、黒人社会に入っていく白人は極めて稀であった。黒人によるコンテンツは実は今日のネットにもあまり出てこない。
それは黒人社会の中の音楽の情報は余り残っていないからである。レコードのレーベルにはレコード番号がついていて、それらは連番になっているわけだが、どんなレコードが作られたか分からない部分があって、リストが完成しない場合が結構ある。当時日本のラジオやレコードで知り得た黒人音楽を手がかりに、その他にどのような音楽があったのかを私は50年間探ってきた。
手がかりにしたのは黒人向けラジオ局が処分した古レコードとか、黒人居住区を対象にしたジュークボックス業者の古レコードであった。50年かけてだいたい半数くらいは見当がつくようになったという気がする。
それから50年、日本もアメリカ黒人も生活環境の見た目は確かによくなった。今の新しい音楽に関してはアメリカも日本のアジアも全く同列な条件で制作や販売が可能になっている。がしかし、やはり過去の伝統を引きずっているので、過去の作品を振り返ることはしばしば起こる。その場合に情報が整備されている世界と、情報が混沌としている世界では大きな隔たりがある。情報手段としては検索エンジンやYouTubeなど、人々が情報にアクセスするための機能は手に入ったわけだが、そこでは情報が混沌としている世界のものは出てこない。
これを日本の状況に当てはめて考えるとマンガの世界が思い浮かぶ。講談社や小学館の出した漫画週刊誌に関しては情報が残っているが、マイナーな出版社から出されたものは部分的にしか把握できない。おそらく国会図書館にも収蔵されていないものが多くあるはずだ。従来こういったものは見捨てられてきたが、今のネットとか自炊が可能な状況になると、クラウドソーシング的な方法で、ボランティアが情報をアップして総合的なリポジトリが作れる条件が出てきた。亡くなられた米沢嘉博が集めた古いマンガもまだダンボールに入ったままのものが多くあるという。マンガのWikiのようなものが着手されても不思議はないのだが……