投稿日: Dec 08, 2011 12:38:6 AM
ソーシャルメディアの進化を考える方へ
TechCrunchのミクシィ笠原健治氏ソーシャルメディアの立ち位置の違いを語る記事の記者のせいか、mixi笠原社長自体の考えなのかよくわからないが、ソーシャルメディアの使い分けとかソーシャルメディアの思想の違いを云々していること自体がmixiの限界というかオワリを暗示している。何億のアカウントのあるfacebookは、何億人がつながっているのではなく、fbのプラットホームが多様な使われ方をしているわけだから、立ち位置は何でもよいようなサービスになっている。fbはfbの価値を上げる努力を利用者のグループ内に起こそうとしているのではなく、fb外のWebやスマホの世界とfbをつなぐことで価値を上げようとしている。典型は「いいね」であるが、この機能はtweetボタンが先行している。一方mixiは利用者の内輪の満足の話だけをしている。
mixiの発言は特異なことではなく、現状のSNSの使われ方の特徴は記事に顕れているとおりだろう。ソーシャルメディアの比較を語るならば、延べの利用者数とか、メインユーザの性別年齢とか、アクセスデバイスの種類など通り一遍のことを今更繰り返しても仕方がない。笠原氏が何年SNSに携わっているのか知らないが、ソーシャルメディアの質は分析したことがないのであろうか。例えばmixiもfbもtwも、主な機能のトップがつぶやきになっているが、先の大阪のダブル選挙で橋下氏に関してどのような利用者がどのようなつぶやきをしたのか、というような発言のセンチメント解析が行われても不思議はない時代なのである。オバマ大統領の登場からティーパーティの巻き返しもSNSがリアルタイムに集計されていたのである。そのような社会的な意見集約ができなくて、どこがソーシャルかと思ってしまう。
Webの記事には「いいね」やtweetボタンのついている場合が多くなったが、私がよく見る種類の記事では、大抵は「いいね」よりもtweetボタンの方が3倍ほど押されていて、twitterユーザが多いことが伺える。もしいろんな論調の記事ごとにこういう統計をとるならば、各SNSにはどのような考えか方や嗜好の人が多いか、更に考え方や嗜好を軸に考えるならば、どのような層にリーチしたければどのようなSNSを使うのがよいのか、逆にこのSNSではタブーは何であるのか、などの分析ができるはずである。
以前に日本人の意見が2つに分かれた冬季五輪の国母選手の服装のことで、ネット上の書き込みをチェックしたことがあるが、twitter上は槍玉にあげてヒステリーになっていることがおかしいというつぶやきが多く、次いでBlog上でもそういったトーンがあり、YouTubeではバカ・アホ的書き込みが多く、2chは「氏ね」というのが多かった。つまり一般投稿メディアにはリテラシーのヒエラルヒーのようなものがあった。メディアのもつべきソーシャルな意義を考えるならば、2ch的便所の落書きからtwitter、fbへの進化は、やはり書き込みの質であり、メディアが人々の考察の質を上げるところにあったといえる。
日本のベンチャーはメディア論とかデモクラシー論は似合わないかもしれないが、Googleでもfbでも内部でそういったところを経てサービス化したものに敵わなくなることがあるということを考える必要がある。紙の出版や新聞の長い歴史も実はリテラシーの進化とともにあったのである。メディアの進化を考えなくなったmixiはメディアのビジネスの蚊帳の外になってしまう日が来るかもしれない。