投稿日: May 26, 2014 12:41:0 AM
群れあう先に別の展開も起こらないのではないか
マクルーハンはメディアはマッサージであると言った。これはまだテレビを主体としたマスメディアの時代の言葉であるが、個人が情報発信をするパーソナルメディアの時代になっても生き続けている。今のSNSやLINEを使っている何億という人は情報発信をするとかメディア云々とかは考えないで、コミュニケーションの道具としてスマホなどを使っている。だから現代的に言い換えると、コミュニケーションはマッサージである、ともいえる。
毎日SNSにも多くの投稿がある。そのかなりの部分はマスメディアが流した情報のエコーのようなものである。多くの人がいいねを押したりリツイートする内容は実はマスメディアと大して違わないものであったりする。また原発であったり中国防空識別圏がどうのと、一見自分の意見や感情を言い表したりしている書きこみもあるものの、ネット上で議論が深まったりしないのを見ると、真剣に考察しているというよりは同じ感情を抱くことを人は確認しているだけではないかと思う。やはりSNSなどよりもリアルなシンポジウムの方が真面に意見を言いあっているように見える。断片的な情報を流すネットで本気を出すと、むしろ誤解や炎上につながることがある。
ではなぜ人々はネットを使って情報を得たりコミュニケーションをするのか? 当然リアルタイムに連絡を取り合うことには多くの利点があるが、それ以上のものではないのが現状かも知れない。つまりマスコミ情報のリツイートも共感の確認も、実はコミュニケーションとしては何のコンテンツもなく、ただモードでしかないのかもしれない。
twitterの出始めの時には、何々now というのが流行った、ケータイでも若い人は「今何している?」という発信が多かった。その前のポケベルを女学生がもっていた時も何の用件にも使っていなかった。単に誰かとつながっているというモードを楽しんでいただけなのだ。
特に日本のように人口密度が多い中で育って暮らしていると、孤立には耐えがたくなってきて、それを緩和する情報機器が発達しなのではないかと思う。これは人間だけではなく、自然界でも群れて身を寄せ合っている動物たちの様子をテレビで見ることがあると、共通したものがあるのではないかと感じる。
LINEの普及の裏には何か合理的・合目的的なものがあるのではないとすると、たとえLINEの上に合理的・合目的的なサービスを追加したとしても、今のLINEユーザがそういったものを求めるとは限らないのではないだろうか。SNSが先に進まないのはこのような根本的なところから考えていかなければならない。