投稿日: Sep 13, 2010 12:34:1 AM
マスメディアがデジタルに乗り出せていないと思う方へ
最近の若者は…という苦言は大昔からあるそうで、若者がどうだこうだという批評とは別に、そこにあるジェネレーションギャップが注目すべき点である。リアルライブというサイトでは、近頃の新聞やテレビ報道や週刊誌などのマスメディアに「若者の○○離れ」というフレーズが多いという記事がある。その中では対照的に若者が多いインターネット上には中高年批判が多いという。TVが登場した際にもいろんな批判があって、その最たるものは大宅壮一の『一億総白痴化』が有名である。しかし批判したからといってTV普及を止められるものではないので、TVという白痴化運動にどう抗するかというカナダのメディアリテラシー運動や、そもそもメディアとは何かというマクルーハンのようなものの考え方が必要になる。
今日のジェネレーションギャップは上記とは状況が異なって、白痴化装置であるマスメディアが機能しなくなりつつある。「若者の○○離れ」という言い方は、かつては若者で今は中高年が「○○」を気に入っていた状態を基準にして、それに今の若者がついてこないことを「離れ」といっているに過ぎず、「○○」は既に若者を対象にしていないことを不問にしている。言いかえると、昨年消えたPLAYBOY日本版は申し訳程度数ページおざなりな金髪ヌード写真があるだけで、他の記事は文化・社会・経済記事になってしまって、とても若者が実用的に使う媒体では無くなっていた。
雑誌の興隆期は、PLAYBOYのようなブランドの輸入もあったが、若者が自分達に必要なメディアを自力で作り出していた時代でもあった。それは同人誌という狭いものではなく、ぴあ・シティロードなどの情報誌や、1980年代のポップカルチャー・エンタメを引張った宝島、アダルト系から出発した白夜書房、また多くの音楽雑誌などが、編集者と読者の目線が上手く合って盛り上がっていった。今の大衆雑誌の多くが苦境にあるのは、このように編集者が若い読者と息を合わせることが出来なくなったからで、逆に新たなメディアを興そうという若者はイニシャルコストのかかる雑誌には向かわず、デジタルメディアで何とかしようとしている。
紙のメディアは全国の書店やスタンドに配本しようとすると、非常に大掛かりな仕組みが必要になるので、大部数で成功する媒体がいっぱいなければならないが、デジタルコンテンツの場合は敷居が低いので、小部数でも流通できるようになる。しかし逆に大規模流通の既得権のようなものはなくなるので大部数でビッグビジネスにするのは難しくなる。これがマスメディアがデジタルに身を乗り出せない最大の理由だろう。マスメディアは若者を対象としなくなっただけではなく、デジタルメディアに進出できないことで新しい文化も作り出せなくなっている。
もっともデジタルメディアも雑誌の興隆期のような盛り上がりはまだである。コミケがパロディからオリジナルの時代に向かうように、TVをキャプチャしてYouTubeというのもオリジナルなustream配信に変わる気配がある。iPhone,iPadアプリも新たなメディアを志向しているものがいろいろある。その先にどの程度のどんなビジネスがあるのかは、誰も見通してはいない。そういった議論にメディアリテラシーやメディア論というのが役立つようになるだろう。