投稿日: Jun 11, 2011 10:55:49 PM
いいわけ人間をなくしたい方へ
今まで受験勉強や就職活動をしないで来た私にとっては、今日それらがなかなか進まないで憂鬱な日々を送っている人の気持ちがよくわからない。私が言えることは、欲さえ出さなければ何とかなるよ、それより楽しいことをして過ごそうよ、ということだけである。楽しいことをしているといろいろ妄想が始まるもので、日常的に現実離れしたことも考えてしまう。おそらく世の教育ママは自分の子供にそうはなってもらいたくなくて、現実的かつ堅実な勤労者となって平和な家庭を築いて欲しいと願っているのだろう。
私の妄想からすると勤労者というのが一番退屈な生活で、それは仕事が退屈というよりは、頭の中を退屈なもので満たさねばならないからだ。金のために会社に頭を売り渡して、体は世間体の過ごし方をするという選択に思える。楽しいことをするといっても、楽器なりスポーツをするには練習に多大な時間を費やさなければならないし、それらは単調で退屈に思えるかもしれないが、その時間こそ妄想を養っていると思う。よく子供が壁キャッチボールをするときに、野球中継のようなことを口走りながらやっていることがあるが、大人でも練習は日常生活から脳を解放する効果があると思う。
勤労者の典型はマニュアルどうりに仕事をするもので、今日では自分がマニュアルどうりのことをしているかどうか、自分で管理しなければならない。その昔、人間がウヨウヨいた時代は、管理する人と指示されて働く人は分かれていて、指示される側は仕事中には自分の頭は仕事と違うことを考えていてもバレなかったが、今日では一人で二役をするので手足も頭も仕事に占拠される。そして妄想がなくなると創意は出てこない。
しかし勤労者の自己管理という一人二役は、一見成り立っているようで、実は管理もマニュアル化されてしまうと、創造的な管理・つまり目標に向かって最適化の修正を積み重ねるようなことは苦手になってしまう。それが今日の日本であって、見当はずれの管理、無目的の管理のための管理が横行し始める。だれも目を通さないレポートだとか、30分かけても3時間かけても同じレベルの会議とか、オフィスのムダは増え続けているがそれも仕事のうちと思って生産性を下げている。だから本来の「管理」と「意味の無いもの」の仕分けをどこかがしなければトータルな生産性は上がらない。
経営者から見ると、昔に比べて「こうしましょう」「やらせてください」という社員が減って、「誰がするんですか」「でも…どうやって」と言いながら新たなことをやらない理由を考えるのに時間を使う社員が増えているように見える。しかしそんな若者ばかりではない。この傾向は企業が勤労者指向の人間を中心に雇用しすぎた弊害が出ているのである。だから会社が活力を出すには組織を変えなければならない。企画から実践まで、入り口から出口までを、一貫してかかわれる小さなグループを単位して仕事を組み立てられるようにするのがいいだろう。
そうすると前工程や後工程のことは考えないマニュアル型勤労者は居づらく、働く人が仕事中に思い巡らすことの幅が広がり、創意を育てることが少しはできるようになるのではないだろうか。