投稿日: Feb 22, 2016 1:16:3 AM
戦後すぐから数年間の物資欠乏の時代に生まれた団塊の世代が昔話をしても若い人にはピンと来ないことが多々あるのは仕方がない。今の子供が生まれた時から身の回りに当たり前のようにあるモノの殆どは無かった時代なのである。しかしモノが不足していると言っても飢えとかでなければ、それほど苦痛にも思わずに過ごしていた。そこから考えるとモノが豊富になって何が良かったのかわからなくなる時もある。
私が幼稚園の時は色紙がなかった。戦前はあったらしいが、身近にある新聞紙を切って色を付けて色紙にしていた。中学の時にはまだ自転車を買ってもらえない子供もいた。そこで壊れて廃棄されている自転車を2~3台拾い集めて分解し、使えるところを寄せ集めて自転車を組み立てた。さび落としとか塗装もした。乗ってみるとベアリングが擦り減っている感じがしたので、軸受けも分解してボールを交換しグリスも新しいものを入れて調整した。
サビだらけの自転車を分解するのは容易ではなく、火であぶったり、ネジ頭の潰れたものネジ溝の潰れたものなども、どうやったら分解できるか、学校から帰っては挑戦して、ほぼどんなものも分解できるようになった。こういうことをするのにかなりの時間は費やしたが、お金は一銭もかからなかった。
仲間と部品の交換もしていた。何台も組み立てるうちに、クズ屋から廃自転車を買って作り直して転売することもしていたし、特殊仕様の自転車も作るようになった仲間もいた。殆どの子供は金をかけずに日々遊んでいた。まだ消費社会ではなかったのである。子供たちは与えられた遊びとか商品化された遊びではなく自分流の遊びをしていたために、自分の得意不得意をわきまえるようになっていたと思う。おそらく進学するにしても就職するにしても、今よりも進路の見極めはつきやすかったのではないか。
私は分解王として、当時の14インチの重たい真空管テレビの不用品を何台も分解し、その部品を使って全く異なるものを作ることもやっていた。トランスを巻き直してオーディオアンプにするとか、チューナーや中間周波トランスも作り変えてトランジスタでFMラジオを作ったりした。FMラジオには1年以上かかったのだが、そういう試行錯誤を通じて学ぶことは多かった。
古本屋には電気の雑誌のバックナンバーがたくさん積まれていて、そこを図書館のように利用していた。小さなメモ用紙をもって、店頭で必要な部分を書き写していたが、今ならスマホで簡単に撮れるのにと思ってしまう。
もし自分が少年の時に必要な商品が何でも手に入り、溢れるモノに囲まれていたら、自分は何をしていただろうと思うことがある。少なくとも今の自分にはならなかったであろう。自分の子供には欲しいというものを買ってはやったが、与え過ぎないように気を付けていた。子供が興味を持つかもしれないと思って何かを買うことはあるが、なるべく控えめにして、また無理に遊ばせることもせず、子供が自分で自分の興味を自覚してほしいと思った。
ともすると現代日本では子供は与えられすぎて、自分の関心がわからなくなってしまうのではないか、という不安があったからだ。
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