投稿日: Dec 18, 2013 12:25:50 AM
目標設定が必要
日本の教育の実態は、紙の教科書のページを順番にこなしていくスタイルが多いので、これではタブレットや電子黒板などIT機器を使った教室にしても、大して効果が出ないだろうという意味で、記事『電子教科書よりも教育』を書いた。もうひとつの視点は、IT機器というのはマルチメディアデバイスであるので、これを教育に使うというのは視聴覚教育の延長上にあることだ。しかし日本の視聴覚教育はそんなに効果を発揮してこなかったと思う。その反省無しにタブレットや電子黒板を使っても、これまた効果が出ないだろうということも書いた。
視聴覚教育については、英語教材を買って自習しようとして挫折した人が如何に多いかでもその効果がわかるが、それよりも公的にはNHKの教育テレビというのが公教育でどれほどの役に立っているかどうかも考えて欲しい。今は殆ど幼児と高齢者のためのチャンネルになっているのが実態ではないか。
子供の教育に視聴覚を使う理由は、文字での伝達に比べて直感的・感覚的な導入とか「ひらめき」が得やすいからだろうし、それは言葉を変えて言えば体験的な学習ができることである。そのためには教える側がそのつもりになっている必要があるわけで、どうしても理科の実験とか観察とか、社会科で実社会を知るようなところでは、それなりの教材の積み重ねがされてきたはずである。
しかし他の科目は体験的教え方とか教材準備が追いついていないかもしれない。実際に電子教科書の導入をする際には、何が何でも全科目を一気に電子化しなければならないこともなく、できるところから無理なく順次移行するのがよいはずだが、体験的学習を広げていくための努力もしなければ先には進んでいくことはできない。
そのためには教育をテーマにしている大学などでの研究からして見直すべきだろう。過去の日本は民力に特徴があって、中間層のレベルが高いことで高品質な仕事ができることが強みであった。一方では人を平均化させてしまって、天才的な人を押しつぶしてしまうとか活かせないという面もあった。それでも時々ノーベル賞をとるような人もあらわれていた。ではこれからの日本はどういう人材育成を目標とするべきだろうか。
これはいろんな考え方があるだろうが、私はノーベル賞を取れるような人が増えるのが望ましいと思う。なぜなら、アジア各国の生活水準や教育水準が上がっていくと、日本の中間層のレベルには早晩追いつかれてしまうだろうから、仕事のオフショア化は今以上に進んで、日本もアメリカ白人のような空洞化が起こる可能性が高い。とはいってもノーベル賞をとれるような人は例外なのだが、その裾野にも多くの優れた人が育つので、いろいろな分野で革新が起こりやすくなる。現に日本の地方大学でも世界に例を見ない研究開発をしているところは多くあって、そういうところを強化すると、地域経済も日本全体の産業力も高まると思うからだ。
子供の頃に鉄腕アトムにインスパイアされてロボットの開発者になった日本人科学者が多く居たように、体験授業で子供に刺激を与えて、子供を巻き込んでいくような授業をマルチメディアの教材作りでできたらよいと思う。