投稿日: Apr 09, 2015 12:52:37 AM
天皇陛下ご夫妻の南洋諸島訪問が大きくニュースになっている。私もこの日を待っていた。太平洋戦争の特異さと、それを引き起こした要因の謎がそこにあると思うからだ。中国大陸の場合は日本人兵士1名の死に対して中国人は3人くらいが死んでいるかと思う。南京虐殺があったかなかったかという局部的な話しよりは、グロスで考えた方が思考は進むのだが、これは侵略戦争でありがちなものといえるだろう。負けという点では、ナポレオンがロシアから退敗したのと似ていると思う。しかし太平洋戦争をグロスで見ると、日本人死者の半分は南方で死んでいて、こちらは一方的といっていいほどアメリカに殺された。日本人兵士1名の死に対してアメリカ人は0.2くらいだろうか。殺したアメリカも何を考えていたのだか…
南方戦線の悲惨さは子供の頃からたびたび聞かされてきたことであり、日本兵が片道切符で死にに行ったことが理解できなかった。日本海軍は短期決戦を目論んでいたが、戦争が長引いて補給ができなくなってしまったというような説明がされていたが、やはり日本は負けると踏んだら「上手に負ける」ことを画策できない日本人の側の意識が悲劇の根本にあると思う。それは、記事『日本に潜む原理主義』にちょっと書いたことであるが、合理主義よりは感情が支配する社会には、今もあり得ることである。
たまたま負けはしなかったが朝鮮戦争時に毛沢東の中国人民志願軍も半数くらいが死んでいるといわれ、大変な死亡率である。カンボジアのポルポト、今のISなど、非常に多くの死者を出すところには、何か共通するものがあって、それと戦前の日本が重なるように思える。まず近代のヒューマニズムというのが通用しない世界だ。ヨーロッパ的な国民国家にはなっていないということでもある。ヨーロッパの国民国家とか共和制も不完全で戦争を引き起こしてしまうのだが、立ち戻るべきヒューマニズムというのは共通にもっていることがせめてもの幸いである。
ヨーロッパの共和制が人類の理想郷とは思わないが、ヒューマニズム実現目標の最低限くらいにはなるのではないか。日本の戦後の皇室は、キリスト宣教師を教師につけたことからも判断できるように、欧米のエリート教育に伍することがされて、世界の元首・国王の教養を身に着けてきた。新春番組などで天皇・皇太子のお話があると注意深く聞いているのだが、そこで話題になる本などは、例えば幼児の絵本の話しをしていても、やはり世界のトップ教養レベルにあるもので、政治家や報道陣の教養とは一段階異なっている。極端に言えば今の日本のヒューマニズムの牙城は皇室になっているようなもので、文部大臣をやってもらいたいと思ったほどだ。
それと対比して、まだ日本のここかしこに潜んでいるヒューマニズムを認めない闇の部分は結構あるので、それに対抗していく力が生まれなければならない。いじめ問題とか個々に問題にしているだけでは闇には対抗できないであろう。
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