投稿日: Oct 30, 2012 12:28:3 AM
高級オーディオは幻想だと思う方へ
日本で音楽というとオーディオ装置を思い浮かべる人が居る。家電としてのステレオ装置は日本で発展したともいえ、一時は大きなスピーカーボックスをどこの家でも買おうとしていたことがある。今はシニア向けにオーディオマニアの世界があるらしくて、それも紙の雑誌がいくつも発行されていて、超高価なパーツが紹介され、涎のでるような広告が並んでいる。金のプラグなどまるで時計など準宝飾品の域に達しているかのようだ。引退さんで何百万と金をかけている人も珍しくないようだ。ある時そんなお爺さんが立ち退いた家をかたづけるのを手伝ったことがあったが、超高価なスピーカーケーブルもむしりとられて捨てられていた。
ステレオ装置はレコードというメディアが出現したから生まれたわけだが、その後の発達は歪んだものとなったと思う。科学的には音場の再現ということで、サラウンドとかBoseとかの仕掛けが出てきたのだろうが、一方でどのパーツがよいかというミクロな世界も進んでいった。日本のメーカーの研究所に行けば音場の再現をやっているのだが、街の専門店に行けば豪華パーツの世界になっていて、後者はドン詰まりの世界でマーケットは広がって行きようがない。このように日本国内で作る側と使う側が分かれてしまっては新しい方向性は出てきにくいなと思った。
しかし音楽再生を楽しもうとするとする時に今日ではIC化されたオーディオ処理でも十分な装置となって事足りるので、そこにおいしいビジネスは見つけられなくなっている。つまり音楽を楽しむことは増えたのに、それを実現するところはビジネスにならないのである。記事『ライブ重視で変わる音楽の世界』では音楽活動と音楽メディア制作は別次元の問題であることを書いたが、オーディオ装置に凝るというのも目先のビジネスを優先するあまり、音楽そのものとはかなりかけ離れたところに行ってしまったように思える。
それは音楽の録音技術の変遷を考えてみれば明らかだ。つまりコンサートホールの真ん中にステレオマイクを置いて採るだけのことを考えてレコードの再生を設計していいのだろうかということである。スタジオではそんなことはしていないのだから、コンサートホールモデルがあてはまる音楽は少ない。実際ホールであっても多くのマイクでミキサーを使ってマルチトラックで採っているのだから、再生すべき音場は人がバーチャルに作り出したもの、現実にはないものを元にそれらしく仕立てたものになっている。
私もミキサー・PAを手伝ったり、マスタリングを手伝ったりすることもあって、ナマ音至上主義というのは現在は有り得ないと思うし、その幻想に囚われた純粋再生技術というのも有り得ない。あるのは、ライブの印象を元にマスタリングする際のインテントと、そのインテントに合った再生なのである。